【横塚裕志コラム】日本企業は「管理OS」で動いている ~DXも変革も進まない理由~

企業変革やDX、AI活用が叫ばれて久しい。しかし、「掛け声は大きいが、実態は変わらない」という声が後を絶たない。その背景には、戦略や技術以前に、企業がどのOSで動いているのか、という根本的な問題がある。 今回のコラムでは、企業の意思決定や行動様式を支配しているOSを、管理OS ・マネジメントOS・人間OSという三層構造で整理し、日本企業が今どこにつまずいているのか、を考えてみたい。

  1.多くの日本企業を支配してきた「管理OS」

日本企業の多くは、長らく「管理OS」を標準OSとしてきた。
管理OSとは、仕事を「指示された通りに、決められた手順で、正確に実行させる」ことを目的としたOSだ。製造業の現場で磨かれ、高度成長期の日本企業の競争力を支えてきた。
このOSの前提には、「正解はあらかじめ存在する」「現場はそれを守ればよい」という考え方がある。そのため、評価の軸は、ルール遵守、ミスの少なさ、問題を起こさないことに置かれる。
安定した環境では、管理OSは非常に強力だった。しかし、仕事の性質が大きく変わった現在、その限界が顕在化している。

  2.管理OSの限界・・「頑張れ」では成果は定義できない

顧客ニーズが複雑化し、正解が事前に見えない仕事が増えた今、管理OSは決定的な弱点を抱える。それは、成果を具体的に定義できないという点だ。
管理OSのもとでは、「お客さまのために頑張れ」「主体性を持て」「品質意識を高めよ」といった言葉が多用される。しかし、これらは行動の姿勢を語っているだけで、成果そのものを規定してはいない。
結果として、現場では「何を達成すれば成功なのかが曖昧」「判断基準が共有されない」「責任の所在がぼやける」という状態が生まれる。
大真面目に働いているのに、組織として成果が積み上がらない。この構造は、多くの日本企業で見られる光景だ。

3.マネジメントOSとは何か・・成果から逆算するOS

管理OSに代わるものとして必要なのが「マネジメントOS」だ。ドラッカーは、マネジメントを次のように定義している。

「マネジメントとは、組織に成果を上げさせるための道具である」

ここで重要なのは、マネジメントが「人を管理する技術」ではなく、「成果を生み出すための仕組み」だという点だ。
マネジメントOSでは、最初に「誰にとっての成果なのか」「どの状態を成果と呼ぶのか」「それをどう測るのか」を明確にする。成果が定義されて初めて、判断基準が共有され、現場に裁量が生まれ、人が自律する。これが管理OSとの決定的な違いだ。

4.COPCの経験・・成果を定義すると、行動が変わる

私自身、マネジメントOSの力を実感した経験がある。コールセンターの運営において、COPCというマネジメント体系を導入した現場に立ち会ったことだ。
管理OS的な運営では、「しっかりお客さま対応をしなさい」という指示に終始しがちだ。しかしCOPCでは、成果を具体的な指標で定義する。たとえば、「問い合わせをその場で解決できた割合(回答の完結率)を80%以上にする」といった具合である。
すると現場では、「なぜ一度で解決できないのか」「情報やプロセスのどこに問題があるのか」「どうすれば改善できるのか」を、オペレーター自身が考え始める。オペレーター一人一人が自律して考え始めることで、「頑張れ」という管理OSでは決して到達できなかった水準の成果が、マネジメントOSによって現実のものになった。

5.DX・AIは、マネジメントOSの上にしか乗らない

DXやAI活用も、このマネジメントOSの上にあって初めて意味を持つ。
成果が定義されていなければ、データもAIも「何のために使うのか」が決まらない。
多くの日本企業がDXで迷走する理由は、技術不足ではない。マネジメントOSが欠けたまま、管理OSの延長でDXを進めようとしている点にある。「DX頑張れ」と命令しても、何を実現すればいいのかが不明では歩き始められない。結果、日本企業のDXは「効率化」しかできない。世界はすでに、製品から顧客価値(モノからコト)に競争の軸が移っているから、効率化だけでは生きていけない。

6.マネジメントOSの限界・・成果を決めるのは誰か

しかし、マネジメントOSも万能ではない。
最大の限界は、成果をどう定義するかを決める主体はOSの外側にあるという点だ。
「何を成果とするのか」「どこまで踏み込むのか」「何を捨てるのか」。これらは仕組みではなく、人の判断に委ねられる。
ここが曖昧なままでは、マネジメントOSも再び管理OSへと退行してしまう。

7.人間OSへの接続・・問いと判断のOS

ここで必要になるのが「人間OS」だ。人間OSとは、人が世界をどう見て、何を問い、どのように判断し、責任を引き受けるか。その根幹にある思考と価値観のOSだ。人間OSは、その個人が持つ「何のために生きるか、働くか」という「意志」そのものを土台として形づくられている。その「意志」があるからこそ、「違和感」とか「引っ掛かり」を感じ、それが「成果」を求めるエンジンとなる。

管理OSが「正解を守るOS」、マネジメントOSが「成果を設計するOS」だとすれば、人間OSは、正解のない状況で「成果そのものを問うOS」だ。 日本企業は「管理OS」で運営されているため、多くの社員が上司から指示・命令を受けて仕事をしている。従って、自分で正解を探す必要性がなく、この人間OSに触れる機会が構造的に少なかった。その結果、マネジメントOSを使いこなす土台も育たなかった。しかし、このままではもう限界だということは明らかだ。

8.人間OSをどう育て、企業をどのようにしてマネジメントOSに変革するか

まず、人間OSは、どこで、どのように育つのか。人間OSは、個人の内省だけで完結するものではない。現実の課題から切り離された問いは、やがて抽象論にとどまってしまう。
同時に、マネジメントOSも、実際の成果責任を伴う場で、意識的に使われなければ身につかない。
つまり問われているのは、人間OSとマネジメントOSを、現実の中でどう往復させて、育てていくかということだ。その往復が起きる場は、自然には生まれない。意図して設計された「場」が必要になる。

次回は、マネジメントOSについて、より深く考えてみようと思う。

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