【横塚裕志コラム】課長は「正しくやる人」から「正しいことを決める人」へ

DBIC特別セミナーで、デンマークにかかわりの深いお二人の日本の方から、貴重なお話をうかがった。井上陽子氏の言う「第3の時間」については、「人間OS」を熟成する大事な要素だと感じ、それを前回のコラムで書いた。今回は、デンマーク企業と日本企業のJVで10年勤務した山田正人氏から、同国企業のホワイトカラーの働き方を聞き、マネジメントOSの合理性・必然性を強く感じ、それを書こうと思う。
デンマーク企業の働き方で強い刺激を受けたのは、課長と部下の関係において、互いの仕事が明確に分離されているという点だ。課長には課長の仕事があり、部下には部下の仕事がある。そして、課長は部下の業務をダブルチェックしない。
一見すると、課長の責任が軽くなっているようにも見える。しかし実態は、その逆だ。むしろ、課長の責任は格段に重くなっているのだ。

1.管理OSにおける「課長と部下の関係」

多くの日本企業で見られる管理OSでは、仕事は次のように構造化されている。
課長は、業務を細かく分解し、部下に指示を出す。部下は、その指示に従って作業を進める。そして課長は、進捗を確認し、ミスがないかをチェックする。
この構造では、「部下は『指示された仕事』に責任を持つ」、「課長は『最終的な品質』に責任を持つ」。つまり、責任は最終的に課長に集中する。
その結果、部下は「指示待ち」になり、課長は「チェックの連鎖」から抜け出せなくなる。これは一見、管理が効いているようでいて、実は責任の所在が曖昧な状態だ。

2.マネジメントOSにおける「課長と部下の関係」

一方、デンマーク企業が使っているマネジメントOSでは、仕事の分け方そのものが異なる。
課長の役割は、業務を指示することではない。成果を定義することにある。「この仕事の目的は何か」「どの状態になれば達成なのか」「なぜそれが重要なのか」、これらを明確にしたうえで、仕事を任せるそうだ。
部下は、その成果に対して責任を持つ。だからこそ、やり方は任される。ここでは、「部下は『成果』に責任を持ち」、「課長は『成果を定義したこと』に責任を持つ」。責任は分散するのではなく、明確に分離される。

従って、部下が実施したアウトプットに対して、定義した成果に書いていないことを追加指示することや、成果に関わらない細かい修正指示などを課長が行うと、部下から「できない課長」と批判されるそうだ。

マネジメントOSでは、課長は部下の仕事を細かくチェックしない。しかしそれは、無関心でも放任でもない。チェックで品質を担保するのではなく、定義と責任で品質を担保するという考え方をとっている。
つまり、部下は、自らの実行に責任を持ち、課長は、成果の定義や前提に誤りがなかったかを問われ、ここに逃げ場はない。だからこそ、課長の仕事は軽くなるどころか、むしろ質的に重くなる。
ここで問われているのは、ドラッカーも言っているが「正しくおこなう(Do things right)」ことではなく、「正しいことを行う(Do the right things)」ことだ。
管理OSでは、与えられた手順を正確に遂行することが重視される。しかしマネジメントOSでは、そもそも何が価値なのか、何を達成すべきなのかを定義すること自体が責任となる。課長は「やり方の正しさ」ではなく、「何をやるべきかの正しさ」を問われる存在へと変わるのだ。

3.これは「効率」の話ではなく「人権」の話のようだ

この違いは、単なるマネジメント手法の違いだけではない。より本質的には、人をどう扱うかという思想の違いとなっている。
管理OSでは、人は「管理される対象」になりやすい。細かく指示され、チェックされることで、行動が規定される。
一方、マネジメントOSでは、人は「責任を持つ主体」、つまり「一人の市民」として扱われる。故に、自分の仕事は自分で完結させる、自分の判断で最適なやり方を選ぶ、その結果に対して責任を持つ、という考え方が貫かれている。
これは、個人の自律性を前提とした考え方であり、個人の人権を尊重する構造と言えるのではないだろうか。

4.この構造は、理念的であると同時に、極めて合理的だ

なぜなら、

  • 判断が現場に近いところで行われる
  • チェックのための無駄な往復が減る
  • 課長がボトルネックにならない
  • 各人が当事者として考えるようになる

つまり、スピードと質の両方が上がる。
管理OSは「ミスを防ぐ」ことに最適化されているが、マネジメントOSは「価値を生む」ことに最適化されている。

5.生産性の高さの本質はどこにあるのか

課長と部下で「成果」を確認しながら業務を行うという構造は、部長と課長、役員と部長、社長と役員、というすべての階層で行われている。全員がすべての階層で、価値を生むことを最優先に業務を行っているということになる。
だから、日ごろの行動でも、会議で発言がない人は次回から呼ばない、とか、CCで来たメールは読まない、とか、成果に関係がないことは極力省いているようだ。また、5時には保育園・学校の門が閉まってしまうので、子どもを路上に待たせるわけにはいかず、必死に4時前には会社を出ざるを得ないという環境からも、成果に関係がない仕事は省かなくては生きていけない。

デンマークの生産性の高さの源泉は単なる効率化ではなく、むしろ本質は、組織の全員が「価値を生むこと」を考え抜く構造にあるように感じる。
マネジメントOSのもとでは、一人ひとりが成果に責任を持つ。「何が価値なのか」を全員が問い続けている。価値を生み出すことだけに専念した結果、生産性が高まってしまっている、ということのように見える。
効率を極めた先に生産性があるのではなく、価値を追求した結果として、生産性が高まっているのだ。デンマークの企業に見られる強さは、まさにこの順序の違いにあるのではないだろうか。
生産性とは、「正しくこなした量」ではなく、「正しいことを選び続けた結果」なのかもしれない。
ドラッカーの有名な言葉がある。
「There is nothing so useless as doing efficiently that which should not be done at all.」
(やるべきでないことを、いかに効率よくやっても無意味である)

他のDBIC活動

他のDBICコラム

他のDBICケーススタディ

一覧へ戻る

一覧へ戻る

一覧へ戻る

このお知らせをシェアする