【レポート】企業変革実践シリーズ第12回「変わらないために変わりつづける~今を生きる神社~」

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2021年7月1日(木)、DBICでは企業変革実践シリーズ第12回として「変わらないために変わりつづける~今を生きる神社~」をオンラインで開催しました。今回は太宰府天満宮権禰宜(ごんねぎ)の高山博子さんをDBICの恵比寿セミナールームにお招きして、日本らしさと季節感を大切にしている太宰府天満宮の歴史や年間行事の紹介を軸に、参拝者を心よりおもてなしするための工夫の数々、そして100年、1000年先を見据えた新企画づくりなどについてお話しを伺いました。

高山さんが権禰宜として仕えている太宰府天満宮(福岡県太宰府市)の創建は延喜3年(903)。「学問・文化芸術の神様」として親しまれる菅原道真公(天神さま)の御墓所の上に創建された天満宮は天神信仰の聖地として1100年以上の悠久の時の中で今日まで大切に守り伝えられています。
天神さまは5歳で和歌、11歳で漢詩を読まれるなど、幼少から類稀なる才能を発揮し、33歳で学者の最高位である「文章(もんじょう)博士」に就任し、55歳で朝廷のナンバー2である右大臣に重用されますが、57歳の時に藤原時平の讒言(ざんげん)によって大宰府に左遷、軟禁生活を送り、59歳で薨去されています。
高山さんによれば、「大」の字で表す大宰府(大和言葉:おおみこともちのつかさ)は役所の名称で、律令制下における九州諸国の統括地であると同時に外交と軍事防衛の拠点として大変重要な役割を担っていたそうです。文明のクロスロードという存在で、例えば、うどんやそば、お茶などが最初に入ってきたところが大宰府。そうした食材や文化を日本に取り入れるかどうかの判別業務も担っていたわけです。
コロナ禍前の参拝者数は年間約1,000万人、正月三が日だけで約200万人が訪れていたそうです。境内の広さは約10万坪で、梅だけでも約200種類、約6000本が植樹されているとのこと。樟(くすのき)に至っては樹齢1500年を誇るものもあるそうです。
高山さんが是非覚えておいて欲しいと強調していたのが「25日」という日にち。天神さまの誕生日が6月25日、命日が2月25日、左遷を言い渡されたのが1月25日ということから、「毎月25日は天神さまの日」とし、一般の神社では通常、毎月1日と15日に平和と安全をお祈りする月次祭(つきなみさい)を行っているのに対し、太宰府天満宮では1日と25日に月次祭を実施しているとのこと。また、25年に1度、式年大祭を実施、次は令和9年に1125年目として予定されているそうです。この準備としてご本殿の大改修が再来年から着工予定。太宰府天満宮の宮司は現在、第40代。道真公のお墓を守ることが使命であることから代々、道真公の子孫が仕えているそうです。
また、太宰府天満宮では、どの季節に参拝されても楽しんでもらいたいとの気持ちから、様々な祭典・神事のほか、おみくじの色を季節に合わせて1年間で10色にしたり、4年に1度のサッカーワールドカップに合わせてサムライブルーのおみくじを販売したりしているとのことです。
祭典・神事は180以上のお祭りを催しているそうで、道真公が最難関の文章博士の試験に合格した10月18日に因んで、10月は「特別受験合格祈願大祭」を開催し、特別なお守りやお札、鉢巻きも提供しています。これも平成になって開始したもの。そうした新しい試みにも着手している半面、9月に行われる最も大切なお祭りである「神幸式(じんこうしき)大祭」は920年前から毎年お祭りの灯を絶やさず受け継がれています。
神職として「変えてはならないもの。永久に守るべきもの」は、ご祭神、祭り、祈り、神聖さ、自然、ご社殿と説明した後、高山さんはこの世界に入って驚いたのが「変わらないために、変わりつづける」姿だったそうです。「神社も神様も今の時代を生きている」ので、「神社も革新を続けていかなければならない」という考え方から、100年後、1000年後を見据えた活動を展開しています。
太宰府天満宮ではこのように「伝統を守り伝えながらも、時代に合った方法や手段を考え抜き、挑戦や革新を続けていく」活動を展開していますが、その基礎となっているのが先を見据えて行動した道真公の実績にあると言います。道真公は、遣唐使を廃止したり、抜本的な税制改革、和魂漢才の精神に基づいた日本独自の文化の育成に貢献。そうしたことから高山さんを始めとする神職の皆さんは、自分たちが直面している問題について「道真公ならどう考えるだろうか、どう対処するだろうか」を判断の基準にしていると言います。
では実際に太宰府天満宮はどのような取り組みをしているのでしょうか。道真公は文化・芸術の神さまとして慕われてきた歴史があることから、「文化が生まれれば、地域との共生が実現できる」というキーワードのもとに様々な事業に取り組んでいるそうです。1つ目は、九州国立博物館の誘致。これは2005年(平成17年)に開館されたものですが、太宰府天満宮にとっては明治6年から始まったプロジェクトで、4代の宮司が夢をつないで130年かけて実現したものだそうです。
この博物館は、専用のアクセスエスカレーターを使えば5分ほどで太宰府天満宮に行けるように設計されていますが、駐車場は意図的に参道を歩かなければならないつくりになっています。あえて少し離れたところに駐車場をつくることで、参拝者にとっての旅の楽しみや周辺のまち全体が栄えることを目指しているというのがその理由です。
この駐車場は2,000台収容できる大規模なものですが、発案・設置したのは昭和30年代だそうです。これは昭和33年に米国留学した先々代の宮司がモータリゼーションの到来を予見した結果です。
そのほか、隈研吾氏設計のスターバックス太宰府天満宮表参道店の誘致や、古民家をリノベーションし「滞在し暮らすように過ごす場所」へというコンセプトのもとに設計されたホテルについてのお話も披露していただきました。また、平成18年からスタートした文化・芸術の擁護者としての天神さまを伝達するための「アートプログラム」は、第一線で活躍中の国内外のアーティストを太宰府に招へいし、数日間滞在してもらって作品の構想を練り制作してもらうというもの。平成18年から現在までに10回開催していると言います。2018年にデンマーク出身のフラワーアーティストのニコライ・バーグマン氏と共に手掛けたピンクの鳥居は大きな話題になりました。
最後に話されたのが「100年後のスタンダードになる神社」。一例として、長い時間軸の中でも古びないお札の授与所をつくりたいという想いから、ニューヨークのユニクロ店舗などを手掛けた片山正通さんに設計を依頼。ポルトガル産のピンクの大理石を用いたモダンなデザインであると同時に、標高200mの場所に位置し冬場の寒さが厳しいことから自動扉付きの屋内型の授与所となっています。
「参拝者の心に寄り添い 日本一元気になれる神社を目指す」。こうした思いを大切にしながら、太宰府天満宮では日々様々なチャレンジを続けておられます。

<太宰府天満宮公式ページ>

それまで控えていた祈願・お守りのオンラインでの申し込みもコロナ禍に対応するため、昨年5月から開始。また、朝拝神事に関しても午前8時30分から不定期でライブ配信を行っています。
ウェブサイト https://www.dazaifutenmangu.or.jp/
Instagram https://www.instagram.com/dazaifutenmangu.official/?hl=ja
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YouTube https://www.youtube.com/channel/UC9CriS48Dlc_6WSB1I5J9CQ

【スピーカーご紹介】

高山 博子(たかやま ひろこ)氏
太宰府天満宮権禰宜
早稲田大学卒業後、11年間の外資系企業での勤務を経て平成25年太宰府天満宮奉職。
日本一元気になれる神社をめざし、現在は総務広報部課長として様々な案件に取り組む。
世界39カ国を旅しフルマラソン6回完走のアクティブな一面もある。

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