先日、DBICのUNLOCKプログラムを修了した方々のコミュニティ月例会に参加した。業界も立場も異なるが、共通しているのは、3か月間のプログラムを経て、それぞれが「自分の見え方」に変化を感じ始めていることだった。
私は、どちらかというと「先輩」として参加したつもりだった。皆さんの話を聞きながら、何かコメントできればと思っていた。しかし、終わってみると、変化していたのは、むしろ私自身だった。
会が始まってすぐに感じたのは、独特の「空気感」だった。一般的な企業の場では、人はどうしても「正しく話そう」とする。評価される言葉を選び、失敗しない発言を探し、無意識に自分を守る。
SNSでも同じだ。常に誰かの視線を感じながら、「どう見えるか」を気にしている。現代社会は、気づかないうちに「評価される自分」を演じ続ける構造になっているのかもしれない。
しかし、その場には、少し違う空気が流れていた。誰かが完璧な答えを言おうとしているわけではない。背伸びした議論もない。「こうあるべき」を押し付ける感じもない。むしろ、「自分はこう感じた」「実は、まだ迷っている」「最近、自分の癖に気づいた」。そんな言葉が、自然に交わされていた。
上下関係も、不思議なほど薄い。もちろん年齢や役職の違いはある。しかし、誰かが「教える側」に固定されていない。互いの話を聞きながら、相手を評価するより、「なるほど、そう見えているのか」と受け止め合っている。
その空気の中で、私はある不思議な感覚を覚え始めた。
たとえば、私は対話の中で、「キリスト教の布教では、大事なのは「傾聴」だと言われている」という話をした。本来なら、それは相手へのコメントとして発した言葉だった。
しかし、話した直後、その言葉が「こだま」のように自分へ返ってきた。
「では、自分は本当に傾聴しているのか」
そんな問いが、自分の中に静かに立ち上がってきたのだ。
その瞬間、私は以前読んだ、「カメラは、撮られる側だけではなく、撮る人自身を写している」という言葉を思い出していた。
人は、相手に向かって話しているつもりでも、その言葉の中に、自分自身の見え方や姿勢が現れてしまう。対話とは、相手を知る行為であると同時に、自分自身が映し出される行為なのかもしれない。
私は、その感覚に少し驚いた。普通、人は話すと、「伝えた」で終わる。しかし、その場では、話したことが、自分自身への問いとして返ってくる。
しかも、それが苦しくない。むしろ、とても心地よかった。
勝つためでもない。評価されるためでもない。誰かを論破するためでもない。言葉が、互いに探索するためのものになっていた。
だから、自分が話した言葉によって、自分自身が気づかされる。
私は以前から、人にはそれぞれ「人間OS」があると感じている。物事をどう見て、どう反応し、何を恐れ、何を正しいと感じるか。そうした無意識の判断パターンの土台だ。企業に経営OSがあるように、人にもまた、人生のOSがあるのだと思う。
私はそのとき、ふと思った。人間OSというのは、こうやって変わっていくのかもしれない、と。研修のように、知識を学んだから変わるのではない。誰かの正解を教わったから変わるのでもない。
むしろ、安心して話せる場があり、本音を出せる空気があり、役割を外した対話があり、問いを持ち寄れる仲間がいる。
その中で、少しずつ、自分自身のバイアスに気づき始める。
そして、自分を防御していた力が、少しずつ抜けていく。
おそらく、人間OSとは、そういう「場」の中で、静かに薫習されていくものだと思う。
興味深かったのは、参加者たちが「社会を変えよう」と大きなことを言っていなかったことだ。むしろ、「まず自分のチームから」「会議の空気を変えてみたい」「部下との対話を変えたい」。そんな、身近な話が多かった。
そして、もう一つ印象的だったのは、皆の言葉の「主語」だった。「会社が変わらなければならない」「組織としてこうすべきだ」という話が、ほとんど出てこない。代わりに、「私は、こうしてみたい」「私は、こう感じている」「まず、自分の関わり方を変えてみたい」という言葉が自然に交わされていた。
私は、その「主語が自分になっている感じ」に、不思議な爽やかさを感じていた。自分の人生を、自分の言葉で語り始めている場が心地よいのだ。
本当の変化とは、実はそこから始まるのだろう。人は、自分の「見え方」が変わると、自然と周囲との関わり方が変わる。無理に改革しようとしなくても、空気が変わり始める。
コミュニティの場で起きているのは、人間OSが、ゆっくり育っていくプロセスなのだと思う。そして、その変化は、一気には起きない。
誰かに強制されるわけでもない。革命のように劇的でもない。
対話の中で発した言葉が、自分へ返ってくる。
仏教には、「薫習(くんじゅう)」という言葉がある。
香のそばにいると、衣に香りが移るように、人は場によって少しずつ変わっていく、という意味だという。
その日、私が感じていたのは、まさにその感覚だった。
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