【横塚裕志コラム】CIOの「学び」は今のままでいいのだろうか

「不適切にもほどがある」問いを発していることにお詫びしつつも、日本企業の将来のために、まずは、自分自身を振り返りながら、CIOの「学び」について考える。私は、15年以上前になるものの、保険会社でIT部門・事務部門の担当常務として働いた経験があるので、その経験からまずは課題を考えてみようと思う。

1.私自身の振り返り

  1. CIOに関する体系的な「学び」
    特にしていない。
    私は、新卒から長年SEをやっていたので、ITに関わる全般的な情報は持っていたし、2次オン・3次オンの事務局業務で、会社のスキームはだいたい理解していた。
    一方、CIOに関する学びはなく、むしろIT部門の担当役員としての責務、年間IT計画、年間予算、トラブル報告、実施中の基幹系システムの再構築の進捗管理、などに汗をかいていた。
  2. 情報の入手先
    ITベンダー、IT系のメディア、米国系の調査会社、IT協会、JUASなどから、イベントや個別の説明などで、技術動向や他社の事例などを学んでいた。
  3. 「学び」が不足している自覚は
    不足している自覚はなかった。商品・プロセス・システムの抜本改革というDXを実行できていたし、政府の委員会などにも招聘いただいていたので、そのままのやり方でいいと思っていた。

2.現時点での反省点

今思うと、以下のようなことは、まったく認知せずに仕事をしていた。私の学びの環境に、これらの情報がなかったのだ。これらを知っていれば、より効果的な仕事ができていたのではないかと反省している。

  1. ビジネスアナリスト(BA)の存在・役割
  2. 大規模なプロジェクト・マネジメントの本質・目的
  3. ビジネス・プロセスという考え方での構造改革
  4. 欧米の金融機関のCIOの視点・着想
  5. 大規模なシステム運用に関する可視化・構造化・デジタル化・無人化
  6. ERP選択・導入時のビジネス改革の考え方

3.日本のデジタルの状況

CIOの責任かどうかは別にして、日本がデジタルを上手に使っているかと言えば、実は大きな問題を抱えていると言っていいのではないか。例えば、以下のことが思い浮かぶ。
具体的な情報を持たずに感覚で書いていることはお詫びするが、日本はもっとデジタル活用のレベルを上げていかなければいけない状況だと認識している。

  • マイナンバーによる行政の効率化、国民の利便性向上が実現できていない
  • 一般企業でのデジタル化も、手作業プロセスの一部をデジタル化するに留まり、構造改革に至っていない
  • 大阪万博のチケットが典型だが、システムの使いにくさが日本の特徴
  • ERPの導入で苦労している会社が極めて多い
  • ITに関わるコストが、効果のわりに桁違いに高い
  • 若い世代が、労働時間の長さやキャリアへの不安でSEを敬遠する傾向

4.デジタルに関する「学び」自体の構造改革が必要なのではないか

上記2、3の問題点から「学び」を振り返ると、かなり不足していると考えるべきだろう。それは、日本国内で閉じたベンダー主導・メディア主導の情報循環の中では、世界レベルの「デジタルの本質」を学ぶことはできないということだろう。
これはもはやCIO個人、個社単位で解決できる問題ではなく、日本として「知の流通構造の再設計」が必要なのではないかと思われる。
ベンダーやメディアを批判しているつもりはない。それぞれが企業の持続のために必死の努力をされていることは承知している。「学び」をベンダーやメディアに過度に依存しすぎる私たちの体制を問題視しているのだ。
要すれば、日本における「学び」自体の構造改革を考えるべきということだろう。改革の方向性を以下にあげてみる。

  1. 改革の視点
    例えば、上に書いた私の経験・感覚から整理すると、大きく次の2点は考えるべき視点だと思う。
    1. 世界の情報をフラットに入手し、伝える機関
      日本人は知らないが、世界では当たり前という情報が多々あり、それらが入手しやすい場を設けることができないだろうか。
      例えば、欧米の会社では、人事部には人材育成のプロが配置されており、大学院で認知心理学などを学んだ専門家が育成施策を企画しているのが当たり前だが、日本人はそのことをほとんど知らない。
      日本企業が知らない世界の情報を、日本に伝えることを役割とした機関があるといいように思う。
    2. ビジネス改革としてデジタルを使う構想力の問題
      日本のデジタル下手の原因は、ソフトウエア開発などの技術的なスキルレベルが低いという問題ではなく、どのようにビジネスを構造改革するかの構想力が弱いことに起因している。つまり、ビジネス側の問題だ。ここのレベルを上げていくための「学び」を改めて日本として考え直す必要があるのではないだろうか。
      構造改革を企画する本社機能のあり方、企画能力を持つBAなどのプロ人材の育成・配置、構造改革を常に構想し続ける組織能力の構築、CIOの全社統括機能(権限規程)のあり方などなど、総合的に、体系的に、企業として個人として学ぶことができる機関とか場が必要だ。
  2. 新しい機関が必要ではないだろうか
    非営利で中立的な機関が、新しい「学び」の場をつくっていくことが必要なのではないだろうか。ベンダー・メディア・政府・アカデミアは、それぞれの目的のために活動する機関なので、そこに依存することは難しいだろう。非営利・中立であることを特長とした機関が、機関の利益を考えずに、ひたすら日本企業の発展を考えて、「学び」の場を提供する構造ができないものだろうか。

「不適切にもほどがある」ことを書き並べてきた。不愉快に思われた方も多いと思うが、日本の将来をいいものにしたいという想いで書いたということでお許しをいただければありがたい。

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