「学び」の方法論が、講義形式から対話形式やプロジェクト型に大きく変化しつつある。「世界で最も革新的な大学」と言われているミネルバ大学では、90分の授業で10分以上教員が話してはならないという原則のもと、ディスカッション中心の学習形式になっているそうだ。
「学び」の「方法」をなぜ変える必要があるのか。「記号接地問題」と「SECIモデル」を参考にしながら、本質に迫ってみる。
二つの理論共に、「知識は頭の中に静的に存在するものではなく、身体的・社会的・経験的なプロセスを通じて形成・変容することで生きた知識になり行動が変わる」と説く。
「講義形式」や「暗記中心」の教育は、言葉を別の言葉で説明しているだけで実は身についていない。つまり、言葉が経験に結びついていない=接地していない状態なので、行動に使えない死んだ知識になっている。
生きた知識を獲得すること、それを「学び」と言うが、「学び」は知識を頭に詰め込むことではなく、実際の行動を通して、経験的に意味を構築するプロセスだ。
知識には、言語化・形式化できる「形式知」と、感覚や直感、経験に根ざした「暗黙知」がある。形式知化と暗黙知化を繰り返すことにより、身体に深く知が宿る。この暗黙知がイノベーションの源泉となる。
数年前DBICで、私自身が「質問会議」という「対話」を体験した。江上広行氏(株式会社URUU 代表)のファシリテーションで行ったが、この1時間ほどの時間が、今までに経験がないほど、深くて真剣に自分の課題を考えさせられた体験だったのでご紹介する。まさに、鮮烈な体験の中で「学び」の本質を知った瞬間であった。
「DBICで、著名な方をお招きしてセミナーを開催している。しかし、とても興味深いテーマなのに、参加者がなかなか集まらない。なるべく多く集めるために、毎回、苦労して集めている。どうしたらいいのだろうか。」
こうしたらいいとか、意見やアドバイスは一切禁止。
例えば、「なぜ、大勢集めないといけなのですか?」という感じ。
これほど多くの質問、しかもすべて本質的な問いに対峙して、その場ですぐに全身・全霊で答えるという経験は生まれて初めてのことだった。これらの質問に、自分の考えを引き出しながら回答をしていると、自分で考えたこともないことが、不思議と自分の考えとして出てくるような現象に遭遇する。自分の感覚を言語化し、その考えについてさらなる質問でまた考え、それを言語化することを繰り返していくと、物事の本質にたどり着くような感覚になる。「言語化」する作業が「考える」ことそのものであり、考える力を向上させるトレーニングになっている。質問する側の人たちも、言語で質問することが考えるトレーニングになっている。
「大勢集める必要はないのかもしれない」「メンバーがイノベーションを起こすことがゴールなのだから、参加人数はどうでもいい」「多くの人にうけることが目的ではなく、誰かに刺さることが目的なのだ」・・・・という感じに、自身が覚醒していった。
質問だけなので誰かに教わったわけではないが、自分でDBICの本質を学んでいく旅だったと思う。「学び」とは、自分自身で自分自身を成長させていくプロセスのことだと初めて分かった。自身に一つの太い軸ができた感覚がして、大きな転機になったように思う。
「学び」とは、「一般的な知識」を、「自分自身」で、「自分の体験として自分の身体にしみこませていく作業」だと捉えることがポイントなんだろう。リベラルアーツも「身体知を得ること」と定義されているようだ。つまり、「学び」とは、先生から「教わる」のではなく、「学びたい人が自分で身体知を得るもの」とするのが本質なのだろう。 ただ、一人では学べないことも大事なポイントだ。必要な要素が3つある。
① 真剣に学びたいという他の人たちとの「対話」という「場」が必要。
② テーマも、誰もが自分の課題として考えたいテーマが必要。架空の絵空事では身体が反応しないので、学びにならない。
③ テクノロジーの活用が必須。オンラインだがリアルの臨場感が持てる対話空間。マンツーマンでのフィードバックができる記録と分析。
「教わる」から「学ぶ」への大転換がいま世界で起こっている。その新しい方法論を論理的に構築していく必要があるだろう。
私は中高6年間にわたり英語を教わった。大学の試験には合格したものの、英語を話すことは全くできない。講義と試験という形式では、英語が身体に記号接地できないということがよくわかる。英語で会話するという身体的な経験を実施する必要があるのだ。私がそれを怠ってきた結果だが、学校の「学び」の方法も見直して、多くの人が話せるようにしたらいいと思う。
巷に多くある資格試験について考えてみると、資格試験の合格と実務ができるということが同期していない例を多く見てきた。もっと実務能力も育成するような形式に転換し、実務に役に立つ「学び」にデザインし直していく必要があるのではないだろうか。欧米では、Reskillとは別の企業に行き実務を体験することを指すのが一般的で、実務体験型になっている。
日本として、「学び」を一から考え直す時が来ているのではないだろうか。
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