IMD・一條教授の強い推しがあり、認知心理学をベースにして「人間の学び」を研究している今井むつみ氏(慶応大学教授を今年定年退職)の書籍を手にした。「学力喪失」「学びとは何か」「人生の大問題と正しく向き合うための認知心理学」だ。特に刺激を受けた「記号接地問題」を切り口に、企業人の「学び」について考えてみた。
「記号接地問題」とは、「概念が身体的な感覚になっていない状態での理解は「生きた知識になっていない」。だから行動につながらない。」という問題提起だ。
子どもの学びを例にとると次の通りだ。1/2、2/3のような分数の「記号」を生活経験の中で様々な対象と結びつけることができていないと、たんなる「記号」のまま理解され、意味が理解されずに「記号接地」できていない状態のままとなる。その状態だと、分数の計算問題はできても、文章題になると問題の意味が理解できずに、解答できない状態になる。つまり、分数という記号は扱えても、分数でモノを考えることができない状態になっていて、本質的な「学び」になっていないという問題を指摘している。
言い換えると、「記号接地」とは、「自分で経験し、そこから自分で経験を抽象化したり拡張したりして「自分の中に知識を創る」こと」であり、この過程を体験しないと、行動につながる「生きた知識」にはならないという問題提起だ。
この「記号接地問題」を今のビジネスにおけるDXで考えてみる。 「DXが重要だ」と多くの人が言うものの、本質的な変革ができていない今の状況は、まさに「記号接地問題」が起きているのではないかと直感する。
「身体的・文脈的な体験・実感がない」ということについて、私は三つの問題を感じている。
DXと同様で、記号接地できていないまま、記号操作レベルで語られているだけで、本質的に正しい行動になっていないのではないだろうか。
(1)行動につながる「生きた知識」と知っているだけの「死んだ知識」
今井氏は次のように書いている。
「生きた知識を得るための記号接地の過程は時間がかかるものだ。知識を発見して使い、推論をして、そこでさらに新しい知識を創り、それを様々な場で使う練習を重ね、身体の一部にする、という過程を経なければほんとうの記号接地ができない。そのためには、「真剣で考え抜いた訓練」を少なくとも1万時間続けることだ。」
そう言えば、映画「国宝」の原作者・吉田修一は、自身が3年間歌舞伎の黒衣を纏い、楽屋に入った経験を血肉にして書き上げたと記している。まさに、記号接地の3年間ということだろう。
私たちは、例えば「デジタル化」について、記号接地に取り組んだ経験があるだろうか。実務の中で、デジタル化の「真剣で考え抜いた訓練」を行っているだろうか。単に新しい技術をPoCしたり、新しいビジネス形態を知っただけでは、「記号接地」ができていない。結果、「死んだ知識」習得に留まっているのではないだろうか。
(2)効率を重視して、「学び」のプロセスを軽視しているのではないだろうか
企業人はみな忙しいから、「学び」も簡単に済ませようとしている傾向があるのではないだろうか。本を読むだけ、動画を見るだけでは、記号接地できることはない。顧客の真相に迫る「デザイン思考」も、1週間の入門編でさえ、忙しくて受講する時間がないという状況では、記号接地など夢のまた夢だ。
今井氏は言う。「効率性や単純な思考ばかりを強化し続ければ、私たちは「人間としての強み」を失い、AIに代替されるものになってしまいかねない。」
生成AIとチャットしていれば、何かを考え、アウトプットしている感覚になる。しかし、これでは、バーチャルの世界で記号を操作しているだけのことであり、生きた知識を学ぶための本気度の高い実体験をしていることにはならない。つまり、記号接地していないから行動につながる生きた知識を得られない。
これは、野中教授がイノベーションの源泉と言う「身体・五感で獲得する暗黙知」が得られていない、ということと同義だと思われる。
AI時代だからこそ、身体・五感で生きた知識を獲得するプロセスこそが必要であり、この考え方で「学び」をデザインしていくことが求められるのだ。
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