【横塚裕志コラム】日本企業のアジリティ欠如の構造

1.日本企業に欠けているのは、「速さ」だけなのか

IMDの調査を見ると、日本企業の課題として繰り返し指摘されているものの一つに「ビジネスの俊敏性(Agility)」がある。実際、IMDの調査では、日本のビジネスの俊敏性が最下位だった。
これは、単純に「日本企業は意思決定が遅い」という話なのだろうか。私は、もう少し深く考える必要があると思う。アジリティには、少なくとも二つの意味がある。

一つは、変化を認識してから、意思決定し、動き始めるまでの速さだ。
もう一つは、外部環境が変化したとき、自分たちの前提や方向を変えられる能力だ。
速く動いても、間違った方向に走り続ければ意味がない。逆に、方向を変えられても、意思決定に時間がかかれば競争には間に合わない。
つまり、アジリティとは単なる「仕事の速さ」ではなく、速く動き、必要なら方向を変える力なのだ。

2.アジリティだけを高めればよいのか

しかし、ここで注意したいことがある。企業は、何でも変えてよいわけではないからだ。品質、安全、信頼性、顧客との約束、コンプライアンスなど、環境が変わっても守らなければならないものがある。
先日DBICのワークショップで、IMDのウエイド教授がRobustnessという視点を語った。Robustnessとは、変化が起きても簡単には壊れない強さだ。例えば、COVIDが猛威を振るっても、地政学的な紛争が起きても、生き続ける力だ。一方、Agilityは、変化に合わせて変わる強さだ。優れた経営に必要なのは、どちらか一方ではない。
変えてはいけないものは守り、変えるべきものは変える。問題は、「何を守るべきなのか」を正しく見極めることだ。

3.日本企業は「変えないこと」に強くなった

日本企業は、もともと変化に弱かったわけではない。
品質を守る。約束を守る。計画通りに進める。事故を防ぐ。決めたことを確実に実行する。こうした能力を磨くことで、日本企業は高い品質と安定した事業運営を実現してきた。これはRobustnessという意味では、大きな強みだった。
しかし、ここで一つの問題が生じる。
本来守るべきなのは、顧客への価値や品質、信頼などの「成果」だ。ところが、いつの間にか、その成果を生み出すための仕事のやり方まで守るようになっていないか。
ここに、アジリティ欠如の構造があるのではないか。

4.「決めてから動く」という仕事の順番

日本企業の仕事には、共通する順番がある。
調査する。企画を作る。関係者と調整する。合意する。承認を得る。予算を確保する。計画を立てる。そして、実行する。
つまり、「何をするかを先に決め、それを正しく実行する」という構造だ。
この仕事の順番は、環境が安定し、最初に正解をかなり予測できる場合には強い。しかし、外部環境が変化したときには、弱点になる。一度決めた企画を変えようとすると、予算、計画、組織、関係者との合意などを、もう一度動かさなければならないからだ。
その結果、「なぜ最初に分からなかったのか」「誰が決めたのか」「これまで使った予算はどうするのか」という問題が生まれる。そして、組織は変化に気づいていても、方向を変えにくくなる。
仕事を速く進めようとしているのに、組織としては速く動けない。その原因は、人の能力ではなく、仕事の順番にあるのではないか。

5.Discoveryが示している、もう一つの仕事の順番

先日、AWS Japanを訪問し、ソフトウェア開発におけるAI活用について話を聞く機会があった。その中で印象に残ったのが、「Discovery」と「Delivery」という二つのサイクルだ。
Deliveryの目的は、「プロダクトを正しく作ること」。一方、Discoveryの目的は、「正しいプロダクトを作ること」。つまり、「何を作るべきか」と「決めたものをどう正しく作るか」を分けている。

Discoveryでは、最初の仮説が間違っていることを前提にする。顧客を理解する。問題を発見する。仮説を立てる。小さく試す。結果を見て、必要なら企画そのものを変える。場合によっては、作ろうとしていたものをやめることさえ成功になる。
ここでは、「決めたことを守る」ことよりも、成果に向けて、決めたことを変えられることに価値がある。

6.同じ順番問題は、あらゆる仕事に存在する

この順番の問題は、ソフトウェア開発だけではない。DXなら「どのシステムを導入するか」から始めたり、AIなら「AIをどの業務に使うか」から始めたり、組織改革なら「組織図をどう変えるか」から始めたり、人材育成なら「どんな研修をするか」から始めたり、新規事業なら「どんな事業計画を作るか」から始めたりしていることが多い。
しかし、本来の順番は逆なのではないか。まず、どんな成果を実現したいのかを定める。そのうえで、何が問題なのかを探索し、仮説を置き、必要な仕事を考え、組織やシステムを設計する。
つまり、成果 → 探索 → 仕事 → 組織 → システムという順番だ。

7.アジリティとは、「仕事を速くすること」ではない

こう考えると、日本企業のアジリティ欠如を、単純に「意思決定が遅い」と説明することはできない。問題は、仕事を始める前に正解を決め、その正解を守ることを前提に仕事を設計していることにある。その構造では、環境が変化すると、変えること自体が大きな仕事になる。
しかし、ここで誤解してはいけない。アジリティとは、計画をなくすことではない。
年間計画も年間予算も、企業経営には必要だ。Robustnessの観点からも、企業として守るべきものを明確にし、必要な資源を確保することは重要である。
問題は、年間計画を「一年間に何をするかを、あらかじめすべて決めるもの」と考えてしまうことだ。
年間で固定すべきなのは、何を実現するのか、何を守るのかという成果や経営上のコミットメントであって、その成果を実現するための具体的な手段まで、年度の初めにすべて固定する必要はない。市場が変われば仮説を変える。顧客の反応が違えば施策を変える。技術が進歩すれば方法を変える。必要なら、投資先そのものを変える。

成果は守る。仕事のやり方は変える。この違いが重要なのではないだろうか。
アジリティとは、守るべきものを明確にしたうえで、それ以外は変えられるようにしておくことだ。
そして、そのためには、仕事を始める前にすべてを決めてしまうのではなく、成果から逆算して、探索し、仮説を置き、実行し、結果を見ながら仕事そのものを変えられる構造をつくる必要がある。
アジリティの問題とは、個々の社員がどれだけ速く動けるかという問題ではない。
企業が、変化したときに仕事の順番を変えられるように設計されているかという問題なのではないだろうか。

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