【横塚裕志コラム】日本のプロジェクト・マネジメントはなぜレベルが低いのか

自分のCIOとしての反省をもとに、PMの問題を掘り下げながら、一般的な日本の「人材育成」、「人的資本経営」、「学び」の課題を考えてみたいと思う。

1.プロジェクト・マネジメント力が低い実態

自分の会社の状況で言うと、小規模なプロジェクトであれば問題はあまり起きないが、大規模なプロジェクトになると、スケジュール遅延、コスト超過、品質問題などが発生したり、キャッチアップのために長時間の残業が行われていたり、問題は多々あったと認識している。大規模プロジェクトになると、プロジェクト・マネジメント自体をベンダーに委託することもあった。

2.能力が低い原因はどこにあるのか

自身の反省をしながら、いくつかの原因を考えてみる。

  1. 正しい「プロジェクト・マネジメント」が組織として理解できていない
    PMの役割を「進捗状況を予定対比で確認する人」という程度でしか捉えていない傾向がある。しかし、優れたPMとは、難解な業務要件については、事業戦略との整合性を考えながらシンプルな構造に定義し直す交渉を行い、さらに、今後発生しかねない具体的なリスクを予測し、ステークホルダーと議論しつつ先回りして手を打ち、チームを動かして成果を導く存在であるべきだろう。それが本来のプロジェクト・マネジメントだと思われるが、組織のリーダーにそのような理解がなく、結果、問題が起きてしまう。
  2. PMの育成が個人任せになっている
    本人の希望があれば研修を受けてもよいし、資格を取っても構わないというような育成方針だったと反省している。組織としてPMを戦略人材と見なしておらず、研修やOJTの設計も体系的ではなかった。PMを"必要な職能"として正しく認識できていなかったことが原因で、ぼんやりとした育成になっていたように思う。
    その一方で、プロジェクトの失敗が事業に与えるインパクトは非常に大きいわけで、ここで問われるべきは、「なぜそのような重要な役割に、専門能力の育成をしていない人材を配置してしまうのか」という経営側の問題だと深く反省している。
  3. 組織としてPM育成能力がない
    会社としては、研修プログラムの整備とかPMPの資格取得支援といった施策は行ってはいる。しかし、組織としてPMの役割を正しく定義できていない上に、本物のPMの活動を誰一人見たことがない。故に、正しく本質的なPMを育成する計画も作れないし、学ぶモチベーションも醸成されない。

3.欧米企業のPMはどんな職務か

私の体感で感じるのは、その専門性の高さと責任感の強さだ。
マイクロソフト本社で働く日本人のPMに話を聞いたことがある。プロジェクトごとにその特徴に沿ったマネジメントスキームを自分でデザインし、チーム全員にそのスキームや計画案を説明して全員の納得を得るところから始めるようだ。人生を賭けてギラギラしているチームメンバーにとって、彼らのキャリアを預けるに足るスキーム・計画をつくるだけでも並大抵の専門性ではないことが想像できる。
スイス証券のCIOとの会話では、「どんな理由にしろ、プロジェクトが失敗したら自分のキャリアが終わってしまう」という強い危機感と責任感を感じた。故に、「すべてのタスク状況を日々チェックしながら3か月先を予測してリスクを解消していくのだ」と語っていた。
両社とも、PMの役割を専門性の高い職務として明確に定義している。SEを長く経験したからやっていいという職務ではなく、プロとしての高い専門性発揮を前提とした職務になっている。

4.「PMをどう定義するか」が企業の未来を左右する

PMのレベルは個人の努力の問題ではなく、組織がPMという職能をどう定義しているかにかかっている。PMを「スケジュール管理の担当者」とみなす限り、優秀なPMは育たない。そうではなくて、「プロジェクトの成功を担う責任者」と位置づけることができれば、専門性の高いプロ人材を育成し、配置するという組織の責任と実行策が生まれるのではないだろうか。
そしてそれを実現するためには、企業内に「PMを正しく定義し、その定義に基づき正しいPMを育成するためのトレーニングをデザインできる人材」が必要となる。まずは、ここから始めることが必要だが、これも日本では簡単ではない。「正しいPM」を定義するために、グローバルな視野で「正しいPM」を学ぶことが求められる。PMBOKを読みこんだ程度では、グローバルのレベルの高さは認知できない。本物から学ぶ機会が絶対必要だと思う。

5.「人的資本経営」に「人材の定義」があるか

人材に投資をして、自社の経営戦略を実行できる人材を育成するという「人的資本経営」が流行っている。しかし、これを正しく実行するためには、PMの例でわかる通り、具体的に必要な人材の能力を定義することから始めなくてはならないはずだ。必要とする能力が定義できなければ、そういう人材を育成することはできない。
しかし、日本企業の「人材育成」は、必要とする人材の能力定義があまりにも抽象的で解像度が低すぎるように思われる。例えば、「人的資本経営」だから「リーダーシップ研修」を今までより多く計画している、といった話を聞く。しかし、どういうリーダーシップの内容を求めるのか、なぜ求めているのか、どのポジションにその人材を配置するのかなどなど、解像度が低すぎてゴールが見えない。「優秀な人材を育てる」という程度の戦略では、あまりにも解像度が低いので効果的な施策につながらず、戦うための戦略になっていない。
問題は深刻で、「人的資本経営」の戦略自体を企画できる人材が社内に存在しないということではないだろうか。欧米企業では「タレントディベロップメント」や「ラーニング・アーキテクト」といった職能が確立されており、「人材を正しく定義できる人材」が育成されている。
日本も、「人的資本経営」に正しく取り組む覚悟があるのなら、人材育成という職務を「研修手配と定義していること」を改めて、「人材を正しく定義できる人材」と定義し直し、まずはその「人材定義人材」を育成することから始めなくてはならない。

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