【横塚裕志コラム】欧米の概念が 日本に入ると大きく違う意味に変容してしまう社会現象

欧米から入ってくる概念、例えば「COO」とか「リスキル」とかが、日本では大きく違った意味合いに変容されて広まっているという事実を最近知った。これでは、日本企業の行動がゆがんでしまうのではないか、という懸念を感じ、その状況を考えてみることにした。

1.「COO」の意味

外資系の企業の方から教えていただいたのだが、COOの意味が欧米と日本では大きく違っているようだ。以下、GPTで調べた。

〇日本におけるCOOのイメージ
「オペレーション管理者」としての側面が強い
  • 場業務の安定・効率運営に重きを置かれる
  • 変革よりも「既存の組織・体制をうまく回す」ことにフォーカスしがち
〇欧米におけるCOOのイメージ
「変革を主導する実行責任者」としての側面が強い
  • CEOが描いたビジョンや戦略を「全社的に実行・推進する人」
  • サイロ化の打破や、オペレーションの再設計(例:DX、BPR)の責任者

2.「リスキル」の意味

ある人事評論家の発言を聞いてGPTで調べてみた。

〇日本のリスキル:座学中心の傾向
  • 座学やeラーニング中心: ビジネススキル、ITスキル、資格取得などが多い。
  • 企業主導の研修:社員が異動前に「準備」として学ぶ場合が多い
〇欧米のリスキル:実務中心のアプローチ
  • 「実務を通じた学び」重視(Learning by Doing):いきなり現場で試してみる
  • インターンシップやアプレンティスシップ(Apprenticeship)制度の活用:未経験職種でも、企業が受け入れて「実地で」育てる文化がある

3.意味の違いに驚く

私が持っていたイメージも、まさに「日本のイメージ」そのものだったので、欧米とは大きく違うということに驚いた。COOは「効率運営」に対して「変革主導」、リスキルは「座学」に対して「実務中心」と、本質的な意味合いが異なっていることにショックを受ける。なぜ、私たち日本人はこんなにも違って認知しているのだろうか。
さらに不安になるのは、これ以外の言葉も多くは違う意味合いで日本が捉えているかもしれないということだ。経営のアジリティ、データドリブン経営、ダイバーシティ、well-being、ジョブ型、心理的安全性、などなど、GPTで調べてみると、すべて日本独自の理解に変容しており、欧米の趣旨とは違っている。

4.なぜ、日本流の認識に曲げて広まってしまうのだろうか

GPTに聞くと、以下のような構造的な社会現象が起きていると理論的に説明できるらしい。

「概念の受容と変容」という現象で、概念や制度が他国や他文化から導入される際に、導入先の文化・価値観・制度構造に合わせて、その意味や運用方法が変わっていくもの。これは単なる「誤訳」や「誤解」ではなく、「構造的に起こる「意味の再構成」」という社会現象。
例えば「リスキル」は、日本社会に固有の雇用慣行・教育観・失敗への忌避文化が、欧米由来の「実践的なリスキル」の趣旨を、安全で管理しやすい「座学型」に変容させてしまったと考えられる。これはある特定の「誰か」が恣意的に曲げたというより、制度や文化の中で自然にそう「翻訳」されてしまった結果ということ。「座学型」にしておいた方が、経産省・厚労省、企業の人事部門、研修会社、メディアなどにとって、都合がよかったということなのかもしれない。

しかし、これは由々しき事態だ。社会現象とはいえ、このまま放置しておくとさらなる日本の劣化を招くと思われる。その理由は以下の二つだ。

  • どの概念も、本質は「痛みを伴う自己否定」にあるはずだが、しかし日本では、それを避けて「手触りのよい変化」に置き換えてしまっているので、変革が進みにくい共同幻想をつくり上げている。
  • 日本における「概念の受容と変容」は、既存の制度や文化を維持しながら「変わったふり」をする巧妙な技術とも言える。IT化をDXと称することにすれば、皆がDXをしていることになって皆楽ができるけど、日本は変わらないままだ。

5.日本流に変容させた「概念」のままでいいのか

もちろん、欧米の概念がすべて正しいと言うつもりはない。また、日本流に変容させることをすべて否定するわけでもない。
しかし、少なくとも、欧米が取り組んでいることの本質を理解せずに、変容された日本流の概念だけを鵜呑みにして、「変わったふり」連合の一員となっているようでは、日本企業は進化できないだろう。
日本企業がグローバル競争で後れを取っている一因は、海外の成功戦略や概念を「正確に理解せずに、都合よく変容・無害化してしまう学びのスタイル」にあると考えてもいいのではないだろうか。

6.私たちの「学び方」を大きく見直す必要がある

「概念の変容現象」という洞窟から脱け出るためには、私たち個人が「本質を学ぶ」という基本姿勢に立ち返ることが必要なのではないだろうか。
私たちは、巷の情報はすでに変容しているとの認識を持ち、常に疑いの目で捉え、本物は何かを自分の心で感じるまで、真摯に本質を追求する態度・構えを持つことが重要なのではないだろうか。

「デザイン思考」はポストイットを使えばいいんでしょ、とか、「ダイバーシティ」は要は女性登用でしょ、とか、薄っぺらい認知で済ますのではなく、それぞれが持つ本質的な意味を自分で深く理解する態度が何より必要だ。そうでないと、洞窟生活に甘んじた怠惰にはまることになる。
本質を学ぶためには、例えば以下のような態度が必要だろう。

〇欧米流の原典に触れる
  • 日本語での解説や研修だけでなく、英語の資料・原書・事例研究を直接読む
  • 海外のリーダーの実践記録や発言に触れる
〇制度の違いごと学ぶ(表現ではなく構造を比較する)
  • 雇用制度・組織文化・評価制度などの違いを理解したうえで戦略を見る
〇海外視察・実地体験を重視する
  • 単なる座学でなく、異なる環境に「身を置く」ことで体感的に理解する

DBICは、そういう「学び」を応援したい。

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