私は1973年に保険会社へ入社し、情報システム部に配属された。その後、3年間の他部門勤務を除き、長くIT部門に身を置いてきた。本コラムは、その経験を踏まえ、日本企業のITの歩みを抽象化して捉え直し、そこに潜む構造的な問題を提起したい。
私が入社した時、IT化には明確な二つのレーンがあった。
一つは、業務プロセスを全社的に再設計する「オンライン計画」だ。第〇次オンラインといった名称で、数年単位の大規模改革として推進された。
もう一つは、商品、販売、経理、人事など、一般的なシステム案件だ。
重要なのは、それらが共通の構造の中で動いていたことだ。ビジネス部門からの要望を受け、まずシステム課が業務を分析し、全体最適の視点からシステム要件を設計する。その上で、電算課がソフトウェアを開発するという構造だ。
(実際の名称は、オンライン計画側が計画課・電算2課、一般システム側がシステム課・電算1課であった)
計画課・システム課は単なる調整役ではない。
戦略や業務意図を構造化し、実装可能な要件を作成する中核機能だった。この構造の上に、日本型デジタル化は成り立っていた。
しかし2000年前後を境に、この構造が静かに崩れていく。
かつてのオンライン計画は、IT更新ではなかった。保険会社で言えば、自動車保険の赤字脱却が第1次、大衆化路線による事務量爆発への対応が第2次、営業部門のモデル刷新が第3次であり、明確な経営課題に対する、全社的な構造改革だった。
順序は明確だった。戦略 → 業務再設計 → システム実装
オンライン計画とは、「会社の将来像をシステムで実装する構想」だったのだ。
しかし2000年前後から、この"第〇次"という発想は姿を消す。(当社は実質第4次を2010年くらいまで実施したが、その後はない)
一方で、IT投資は拡大し、金額では、この20年で倍以上に膨らんでいる。にもかかわらず、全社構造を変える計画は見当たらない。
IT化の内容が、個別案件ばかりだ。
全社構造を再設計する物語を伴わない、個別のIT化が主流になる。
これは経営が未来像を掲げなくなった結果である。
もう一つの変化は、IT部門の子会社化・外部委託化だ。これにより、システム課の機能が縮退した。機能としては残ったが、子会社や外部委託者からは、本社に意見を言いにくい。結果、システム課の位置づけが変わった。
かつてシステム課は、
という機能を持っていた。
子会社化後、構造はこうなる。
ビジネス部門は「要望」を出す側。IT子会社は「仕様」を実装する側。
結果、「業務をどう変えるか」を問う主体が曖昧になった。なくなった。
そして最終的には、誰の責任でもなくなった。
それで問題はなかったのか。
問題を認識する人がいなかったということではないだろうか。
全社最適設計、将来拡張性、構造的整合性。これらは、弱まった。そして、それを問題だと気づく人もいなかった。
オンライン計画の消失は、「意志」の後退であり、システム課の役割喪失は、「構造」の劣化だ。かつては、経営が構想を掲げ、システム課がそれを設計し、電算課が実装する、という回路が存在した。
今はどうか。
構想は個別案件に分解され、設計機能は分業の隙間に埋もれ、ITはコストとして管理される。つまり、未来を設計する投資ではなく、現在を維持する費用になった。
投資は拡大している。技術も進化している。だが、企業の構造は変わらない。
これが、全体設計を失った日本型デジタル化の現在地だ。
DXが進まない理由は、人材不足やレガシーだけではない。
オンライン計画を失い、システム課の構想機能を失ったままでは、デジタル化は現行業務の一部効率化にとどまる。失われたのは技術ではない。戦略とITを接続する回路である。「DX推進室」「内製化したIT部門」がこの役割を持つ部門として、定義されているだろうか。
経営が、未来を実装する責任を放棄したままでいいのか。AIもまた個別の取り組みで終わらせるのか。
他のDBIC活動
他のDBICコラム
他のDBICケーススタディ
【レポート】企業変革実践シリーズ第37回 日本舞踊家・有馬和歌子氏に学ぶ、感性とテクノロジーが拓く企業変革
【レポート】2025年12月 DBICアップデート
【レポート】自分の「感覚」に再び出会う旅。DBIC デジタル・ストーリーテリング(DST)ワークショップを開催
【レポート】UNLOCK QUEST2025上期レポート 問いを立てて行動し続けること
一覧へ戻る
一覧へ戻る
一覧へ戻る