4月23日付のコラムで、管理OSでは「課長は正しくやる人」、マネジメントOSでは「正しいことを決める人」になる、と書いた。
今回は、その違いをもう少し掘り下げてみたい。
私は、管理OSとマネジメントOSでは、課長という仕事そのものがまったく別の職業になると理解している。これは、4月23日のコラムに書いた通り、デンマーク企業の実例からも確信している。
多くの日本企業では、課長の仕事とは、部下の仕事を管理することとしている。仕事を割り振り、進捗を確認し、ミスがないかをチェックし、必要に応じて指示を出す。そして最後は課長が責任を持つ。
もちろん、部下にも責任はある。しかし、それは「指示された仕事をきちんと行う責任」であり、「何を実現するか」を考える責任ではない。だから課長は常に忙しい。
部下から次々に相談が来る。判断を求められる。承認を依頼される。最後は自分がチェックしなければ安心できない。
課長がボトルネックになるのは、能力が低いからではない。管理OSそのものが、課長に仕事を集中させる構造になっているからだ。
一方、マネジメントOSでは、課長の仕事は根本から変わる。
課長が最初に考えるのは、「誰が何をやるか」ではない。「顧客にどのような成果を届けるのか」「この仕事が成功したと言える状態は何か」「何を優先し、何を優先しないのか」、こうした成果や判断基準を明確にすることが、課長の最も重要な仕事になる。
成果が定義されれば、部下はその成果に責任を持って仕事を進める。やり方は部下が考える。だから課長は、一つひとつの作業を管理する必要がない。その代わり、成果の定義が間違っていれば、その責任はすべて課長が負うことになる。
管理する仕事から、成果を定義する仕事へ。これがマネジメントOSにおける課長の役割だ。
この変化は、マネジメント手法を流行に合わせて変えるという話ではない。企業を取り巻く環境そのものが変わったからだ。以下に3つの理由を挙げる。
仕事が変われば、必要な能力も変わる。管理OSでは、「計画どおり進んでいるか」「ルールどおり行われているか」「品質に問題はないか」を管理する能力が重視される。
一方、マネジメントOSでは、「顧客成果とは何か」「本当に取り組むべき課題は何か」「部下が自ら判断できる基準は何か」を考える能力が問われる。
つまり、管理能力から、価値を構想し、成果を定義する能力へと重心が移る。
この違いは、単に求められる能力が変わるという話ではない。OSが変わると、課長が毎日考えていることそのものが変わる。管理OSの課長は、「進捗は予定どおりか」「ミスは起きていないか」「承認漏れはないか」と考えながら一日を過ごす。一方、マネジメントOSの課長は、「顧客に届ける成果は何か」「今の優先順位は正しいか」「部下が自ら判断できる状態になっているか」と考えながら仕事を進める。
同じ「課長」という肩書であっても、頭の中で動いているOSが違えば、日々の意思決定も、部下との関わり方も、組織が生み出す成果も、大きく変わってくるのだ。
OSとは、毎日の仕事で無意識に使っている思考の基本ソフトだ。だからOSが変われば、課長が毎日考えることも、判断することも、部下への接し方も大きく変わる。
日本企業では、DX、AIなどさまざまな改革が語られている。しかし、経産省の「DX動向調査」でも指摘している通り、その内容は「効率化」の範囲に留まっている。その根本的な理由は、管理OSは既存の業務の改善を「頑張る」仕事の方式だからだ。いくら頑張っても、効率化しか発想できないのだ。
マネジメントOSは、成果の定義から始め、顧客にとっての価値、全社最適な観点からのあるべき姿、などという視点から考えるので、改革が始まる。
だから、組織OSをマネジメントOSに転換することが、日本企業復活のベースになる取り組みだと考える。これなしで、個別の取り組みを行っても効果が出ないと思う。
他のDBIC活動
他のDBICコラム
他のDBICケーススタディ
【レポート】UNLOCK Alumni #1 開催レポート エンゲージメントと越境で実現する持続可能なUNLOCK
【レポート】「トランスパーソナル ショート&エッセンシャル」 4月期Kick Off & コミュニティ・イベント 開催レポート
【レポート】企業変革実践シリーズ第39回 AI時代における学びとキャリアオーナーシップ ――変化の時代に、自分と組織の「在り方」をどう再定義するか
【レポート】DBIC特別セミナー なぜデンマークは「短く働いて豊かな国」なのかーー『第3の時間』とスモール・スマート・ネーションズから日本への示唆
一覧へ戻る
一覧へ戻る
一覧へ戻る