先日、プロのフルート奏者である林愛実さんと食事をする機会をいただいた。演奏家にとって何が重要なのかと聞くと、「個性」だという。
楽譜には、音符やリズム、強弱など、曲を演奏するための基本が書かれている。しかし、楽譜に書かれていることを正確に再現するだけでは、演奏家としての魅力にはならない。同じ楽譜を演奏しても、演奏家によってまったく違う音楽になるらしい。その違いを生み出すのが、その人の個性であり、その人自身の表現なのだという。
では、その個性をどう磨くのか。
林さんの答えが興味深かった。時間があれば、粘土で作品を作ったり、書道をしたり、料理を作ったりするとのこと。何かを自由に表現してみることで、「自分は何を作る人なのか」「自分は何を感じているのか」を、自分自身が発見するためだという。
つまり、「個性を磨く」とは、自分の中にあるものを見つけ、それを表現し、自分自身をつくっていくことなのかもしれないと思った。「個性を磨く」という言葉からは、何か新しい能力を身につけるような印象を受ける。しかし林さんの話を聞いていると、むしろ「自分を発見し続ける旅」と考えた方が近いのではないかと思った。
自分を表現することによって、自分でも気づいていなかった自分が見えてくる。画家が生涯にわたって自画像を描き続けるように、自分を表現し、その表現を通じて新たな自分を発見する。そうして発見した自分が、次の表現を生み出していく。「個性を磨く」とは、そんな循環を通じて、自分自身を発見し続けることなのだろう。
その日の食事は、新富町の「ドメーヌリョウ」というフランス料理店だった。千葉でとれたジビエを使った料理をいただいたのだが、これもまた強く印象に残った。素材そのものが持っている性質を生かしながら、料理人自身の表現が加わっている。音楽も料理も、決められた「正解」を再現することが価値なのではない。素材や楽譜という共通のものがあり、そこに、その人にしかできない表現が加わって価値が生まれる。そんなことを考えながら、林さんの話を聞いていた。
お話をうかがいながら、私は、企業人に個性が必要なのかどうかを考えていた。それで、林さんに聞いてみた。
私:「企業では、組織として行動するから、個性はむしろ邪魔なのかと思います。」
林さん:「そんなことはないと思います。社長が変われば会社は変わりませんか。」
林さんの言葉ではっと気がついた。確かに、社長も然り、部長でも担当者でも、人の個性で組織が大きく変わっていくことを経験していた。そして次のようなことが閃いた。
会社には、経営計画、組織、職務、規則、KPI、業務プロセスなどがある。いわば企業人にとっての「楽譜」のようなものだ。しかし、同じ楽譜を見ても、何を感じ、何に違和感を持ち、何を問題として捉えるかは、人によって違う。その違いは、仕事への取り組み方だけでなく、何を変え、どのような成果を生み出すかにも表れる。
仕事を与えられたとおりに進めることと、その仕事の意味を考え、もっとよい方法はないかと問い直すことは、同じではない。企業人の個性とは、単に人と違うことをすることではなく、自分自身の感性と考えを持ち、仕事の中でそれを発揮することなのではないだろうか。
会社という「楽譜」が同じでも、そこから何を感じ、何を問題と捉え、どう判断するかによって、仕事の結果は変わる。あらためて振り返ってみると、私自身が仕事の中で何に違和感を持ち、何を問題だと考え、どう判断してきたのか。そこに、自分の個性が表れていたのだと、ふと思った。
さらに興味深かったのは、憧れの演奏家の演奏を聞きすぎないようにしている、という話だった。優れた演奏家から学ぶことは重要だが、憧れの演奏を繰り返し聞いていると、いつの間にか、その演奏が自分の中の基準になってしまい、自分が感じたものを表現するのではなく、憧れの演奏家の解釈を通して演奏するようになり、自分の個性が表現できないそうだ。
これは、演奏家だけの問題ではない。企業人も、学べば学ぶほど、それらしい「正解」を知るようになる一方で、自分自身が何を感じ、何を考えているのかが見えにくくなることがある。
むしろ、学んだものから一度離れて、自分自身の感性で考える時間を持つことが必要なのかもしれない。この傾向はAI時代になるともっと増幅されると林さんは警鐘を鳴らす。AI時代こそ、AIの沼にはまることなく、自分の個性をしっかり保つことが重要になる。
ここまで考えて、私は自分自身の企業人生を振り返ってみた。そして、少し厳しい問いが自分に返ってきた。果たして自分は、そこまで真剣に「自分の個性」を磨いてきただろうか。
演奏家の世界では、音楽大学を卒業した人の中でも、プロとして生きていける人はごく一部だという。林さんをはじめ、演奏家の皆さんは、その厳しい世界の中で、自分にしか出せない音を求めて、日々、自分自身と向き合っている。
一方、企業人はどうだろうか。会社には仕事があり、役割があり、上司がいて、計画があり、KPIがある。その中で与えられた仕事をきちんとこなしていれば、「仕事をしている」と思うことができる。私自身も、振り返れば、会社の「楽譜」に書かれた仕事をきちんとやることに、どこか満足していたのではないかと思う。
しかし、それだけで本当に良かったのだろうか。変化の大きな時代に問われるのは、その楽譜に書かれていないものを、自分はどう見るのかということではないだろうか。これまでのやり方を疑い、自分ならどうするかを考える。そして、自分の考えを持って、周囲と議論し、行動する。そこまでやって初めて、企業人としての「個性」が、会社の価値につながるのではないだろうか。
林さんを見ていて、「個性を磨く」ということは、単に演奏技術を高めることではないように思えてくる。それは、自分は何者なのか、自分は何を表現したいのかを問い続けながら、「自分の人生を真剣に生きる」ことそのものなのだ。
その日の料理を作っていた南海氏も同じだった。千葉でとれたジビエという素材と向き合い、自分の料理として表現する。演奏家も、料理人も、自分の仕事を「誰かから与えられた作業」としてやっているのではない。自分自身と向き合い、自分にしかできないものをつくろうとしている。その真剣さを肌で感じると、自分は仕事に真剣に取り組んできたつもりだったが、自分自身を磨くということについては、どこまで真剣だったのだろうかと考えさせられた。
企業の変革も、一人ひとりが何を見るのか、何を感じるのか、何を問い、どう判断するのかから始まるのではないだろうか。
会社には、経営計画も、組織も、規則もある。それらは企業人にとっての「楽譜」だ。しかし、同じ楽譜を見ても、そこから何を感じ、どんな音を出すのかは、一人ひとり違う。その違いが、新しい問いを生み、これまでにない判断を生み、企業の変革につながっていく。
個性を磨くとは、自分は何者なのか、自分は何を大切にし、何を実現したいのかを問い続けることなのだろう。そして、その問いを仕事の中で生かしていくことは、企業に新たな価値を生み出すだけでなく、自分自身の人生を生きることにもつながる。
だからこそ、企業人は、自分の個性ともっと真剣に向き合うべきではないかと思う。
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