【横塚裕志コラム】なぜ企業は「仕方がない顧客負担」を生み出すのか

1.「便利になったはずなのに、面倒になった」

豪雨のニュースを見ていて、「もし自分の車が水に浸かったら、保険でどこまで補償されるのだろう」と気になったとする。そこで、自分の自動車保険を確認しようとする。しかし、保険証券は紙では届いていない。Webにログインすれば確認できるはずだが、ログインIDが思い出せない。パスワードも分からない。登録したメールアドレスはどれだったか。結局、確認することを諦めてしまう。
電気やガスの使用量・料金も同じだ。以前なら、毎月届く検針票を見ればよかった。今は、自分でサイトやアプリを開き、IDとパスワードを使ってログインし、該当する情報を探さなければならない。
企業から見れば、紙の印刷、封入、郵送、保管などの業務を減らせる。デジタル化には明確なメリットがある。しかし、顧客から見ればどうだろう。「料金を知りたい」「自分の保険内容を確認したい」というだけなのに、ログインする、IDを探す、パスワードを思い出す、サイトを探す、画面を操作するという新しい仕事が生まれている。企業は便利になった。しかし、顧客も便利になったのだろうか。

2.企業は何をTo-Beに設定したのか

ここで考えたいのは、「紙とデジタルのどちらがよいか」という話ではない。問題は、企業がデジタル化によって実現しようとするTo-Beを、どこに置いたのかということだ。
紙をなくして郵送コストを削減する。業務をオンライン化して効率を高める。これらは、企業にとって合理的な目標である。しかし、それは企業の内部をどう変えるかという目標であって、顧客にどのような状態を実現するかという目標ではない。
例えば、保険証券のデジタル化を考えてみる。紙の発行や郵送をなくすことをTo-Beに置けば、顧客がWebにログインして自分で契約内容を確認する仕組みは、合理的な解決策になる。
しかし、顧客に「必要なときに、自分の契約内容を簡単に確認できる」という状態を実現することをTo-Beに置いたら、どうだろうか。
ログインの手間をどう減らすか。顧客が必要な情報にどうすれば容易にたどり着けるか。そもそも、どのような方法で情報を提供するのが顧客にとって望ましいのか。検討すべきことは変わってくる。
つまり、To-Beの置き方によって、解決策は変わる。社内の効率化をTo-Beに置けば、企業の業務を減らすことが中心になる。その結果、顧客が自分で行わなければならない仕事が増えても、企業の目標は達成できてしまう。
一方、顧客が実現したい状態をTo-Beに置けば、顧客が目的を達成するまでの一連のプロセスを考えなければならない。企業の業務を効率化するだけでは、目標を達成したことにはならないからだ。
問題は、デジタル化そのものではない。何を実現することを目的に、デジタル化を進めたのかということだ。

3.なぜ社内の効率化がTo-Beになってしまうのか

その背景には、日本企業に根強い思考の習性があるのではないか。何を実現すべきかを考える前に、どうやるかを考え始めてしまうことだ。
例えば、業務に問題があると指摘されると、現在の業務を前提にして、どこを改善すればよいかを考える。手作業を自動化する、紙の書類を電子化する、手続きを簡素化する。出発点が「今の業務をどう改善するか」である限り、発想は社内業務の効率化に向かいやすい。

本来、最初に考えるべきなのは、そもそも何を実現すべきなのか、という問いだ。顧客にどのような状態を実現したいのか。そのために企業は何をすべきなのか。そこから考えれば、現在の業務を改善するだけでなく、業務のあり方そのものを変えるという選択肢も生まれる。
つまり、社内の効率化がTo-Beになってしまうのは、効率化を重視しすぎるからというよりも、「何を実現すべきか」より先に「どうやるか」を考えてしまうからではないだろうか。

4.「どうあるべきか」を考える時間と仕組みがあるか

しかし、「どうあるべきかから考えよう」と言うだけでは、企業は変わらない。
日本企業では、与えられた目標を達成するために何をするかを考え、計画を立て、役割を分担し、進捗を管理するという、目標を達成するための仕組みは整えられている。
一方で、そもそも何を目指すべきなのか、今の仕事の進め方で本当に顧客が求める成果を実現できるのか、と立ち止まって考える時間は、ほとんど確保されていない。

また、そうした問いを提起し、部門の枠を越えて議論し、従来の目標や仕事の進め方を変えることに責任を持つ人や組織は、明確になっているだろうか。
日々の業務を効率よく進めることを中心に組み立てられた仕事の仕組みのなかでは、目の前の仕事をどう改善するかという発想が優先される。何を実現すべきかを根本から問い直すことは、通常業務の合間に行う余分な仕事になりかねない。
つまり、「どうあるべきか」から考えるためには、個人の意識を変えるだけでは足りない。それを考える時間を確保し、組織として議論し、仕事の進め方そのものを変えられる仕組みが必要なのだ。
企業は、与えられた目標を達成するための仕組みを整えることには力を注いできた。しかし、そもそも何を実現すべきなのかを問い直し、その答えに基づいて組織を動かす仕組みは、十分に整えられていないのではないだろうか。
顧客に新たな負担を生み出してしまう問題は、デジタル化の進め方だけにあるのではない。企業が何を実現すべきかを考える、その出発点にこそ、目を向ける必要があるのではないだろうか。

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