【レポート】シンガポールの政府系不動産会社のイノベーション活動と日本企業とのパートナーシップ機会

スピーカーはシンガポールを拠点とする政府系不動産会社「アセンダス・シングブリッジグループ(以下、アセンダス)」のチーフカスタマーソリューションズオフィサーであるアルウィン・タン(Aylwin Tan)氏です。 アルウィン・タン(Aylwin Tan)氏 アセンダスは「DBICシンガポールイノベーションプログラム」の拠点となるコワーキングスペース「thebridge」など、シンガポールを拠点に日本、中国、インドなど世界11ヵ国に進出しており、ビジネスパークや工業団地の不動産開発を起点に、地域に新たなイノベーションエコシステムを創出する活動に取り組んでいます。 別の政府系不動産会社であるキャピタランドによる買収により、アセンダスはグループ総資産額1,160億シンガポールドル(約9兆4,000億円)に及ぶ東南アジア最大の不動産会社となりました。本レポートでは内容を再構成してお伝えします。

なぜシンガポールは海外の工業地区開発からイノベーションを始めたのか?

タン:アセンダスは1990年代にシンガポールを「製造業」から「製造業+サービス業」の国家にトランスフォームさせることを目的とし、シンガポール通商産業省の管轄下に設立されました。 アセンダスの代表的な開発実績は中国の蘇州インダストリアルパークです。他にもインドのバンガロールやベトナム、そしてインドネシアにおけるサイエンスパークや工業地区があります。 今では世界的な有名になったシンガポール政府主導の国家イノベーションは、海外の工業地区開発から始まったのです。どういうことでしょうか?  まず、経済を変革するには人材が必要なのですが、当時のシンガポールは失業率が非常に低い状態でした。国民が現状に満足しているときは、新しいものを生み出すことはできないのです。 一方で、当時の経済予測において、中国、インドネシア、ベトナムの製造業に急成長を遂げていて、今すぐにシンガポールが変わらなければ、手遅れになることが目に見えていました。 そこで、1989年にアセンダスはインドネシアのバタム島に最初の工業地区を開発しました。そしてシンガポール国内の製造工場をインドネシアに移転し、製造業に従事していた多くのシンガポール国民をサービス業へ転換したのです。 同時に、サービス業を成立させるためにはサービスを売る相手となる顧客が必要です。そのため、アセンダスは工業地区を開発した現地の国民の皆さんの経済成長をサポートしました。その結果、各国の皆さんがシンガポールからサービスを購入できるようになったのです。

不動産会社が新しいマーケットを生み出す方法

タン:本日聴講されている皆さんにこのお話をしているのは、皆さんが「自分たちのマーケットはどこか?」「今はどこに問題があるのか?」を考える際に、このようなプロセスが有効だからです。イノベーションを実行するときに、このふたつはとても重要な問いです。ぜひ心に留めておいてください。 アセンダスが掲げているコーポレートビジョンには「経済変容の要因となり人々の生活を豊かにする、持続可能な都市開発のリーダー」と書かれています。このようなビジョンを持っている不動産会社は、あまり例がないのではないでしょうか。 アセンダスが健全に事業を維持するためには、進出先の国や地域の経済をトランスフォームし、現地の皆さんが継続的にアセンダスのサービスを購入できるようにする必要があるのです。 このように、自社が成長するために「どのようにマーケットを生み出すのか?」「どのようにリソースを生み出すのか?」はふたつの重要なコンセプトです。

顧客にとっての新しい価値を生み出せているのか?

タン:新規事業を構築し、将来的なポジショニングを確立するために私達がやっていることには3つの要素があります。 ひとつ目は当然ながら「良い商品」をつくること。ふたつめは日本企業の皆さんが得意の「良いサービス」を提供すること。最後に、これはまだあまり広まっていないかもしれませんが「顧客がアセンダスと仕事をすることに価値を見出せるか?」という点です。単に、良い商品やサービスだから買ってもらっているのではなく、「アセンダスは顧客にとっての新しい価値を生み出せているか?」ということです。 どうやって価値創造をしているのでしょうか。アセンダスの開発実績にあるシンガポールのサイエンスパークや中国の蘇州インダストリアルパークは物理的な土地開発ですが、実際にはそれに加えて「産業」を生み出しています。 例えばシンガポールサイエンスパークでは、国内のR&Dの大半が行われています。これは、私達がこの場所で積極的にシンガポール国立大学と企業のマッチングを行っているからです。 中国の蘇州インダストリアルパークは、中国で初めて外国企業が開発した工業地域でした。以前は、外国企業が中国国内で製造業を行う場合、必ず中国企業とのジョイントベンチャーを設立する必要がありました。そこで私達は中国政府に対して、完全外国資本での製造業開設を許可するように求めました。これも先程ご説明した「アセンダスが進出する先では、新しいマーケットをつくる」というルールのために必要だったのです。詳しくは後で解説します。

あなたの会社はどうやって成長しますか?

タン:アセンダスがこれから取り組む新しいプロジェクトとしては、中国の広州の都市開発、吉林の農業牧畜地区開発、インドのアーンドラ・プラデーシュ州の新州都の開発などがあります。ここでまた重要な問いがあります。「あなたの会社はどうやって成長しますか?」そして「あなたの会社はどうやって競争しますか?」という問いです。このふたつの質問への答えをご自身で考えてみてください。 アセンダスにとっては、まず成長のために安い土地を取得することが必要です。そして、成功のためにはすぐに私達の施設を買ったり借りてくれる顧客を見つけなければなりません。このふたつが、アセンダスにとっての成長の方法です。 次は、どうやって競争するのか。中国には既にアセンダスより大規模なデベロッパーがたくさん居ます。中国政府がアセンダスを選ぶ理由が必要です。ですから、私達は常に、どうやって競争相手より優位に立つかについて新しい方法を模索しています。そこで、アセンダスは今後の差別化のための4つのストラテジーを設定しました。

R&Dとイノベーションの違い

タン:ストラテジーの内容に進む前に説明が必要な点があります。今、この会場にいらっしゃる皆さんは、不思議に思っているかもしれません。アセンダスの差別化の秘訣を、どうして教えてしまうのだろうか、と。これこそが、R&Dとイノベーションの違いなのです。 もし私がR&Dをやっているなら情報開示はしません。すべて内部で行います。なぜなら、R&Dは自社の活動によって自らが利益を得ることが目的だからです。一方で、イノベーションにおいては、情報をシェアしパートナーも成功することが自社の成功にとっても不可欠なのです。情報を共有すればするほど、パートナーが増えれば増えるほど、イノベーションの成功確率が上がります。 DBIC副代表 西野弘 アセンダスとパートナーシップを組んでくださった場合、私達が日本企業の皆さんに何を提供できるのかご説明します。アセンダスは現在、11カ国に進出し、運用資産は24億(約2,000億円)シンガポールドルになります。アジアだけではなくアメリカ、イギリス、オーストラリアにも拠点があります。 先日、別のシンガポールの政府系不動産会社キャピタランドと合併が決まり、グループ総資産額1,160億シンガポールドル(約9兆4,000億円)の世界で第9番目に大きな不動産会社となりました。住宅、小売、オフィス、物流、工業、科学までをカバーしています。これがアセンダスのリソースです。

アドバンスト・マニュファクチャリング

タン:4つのストラテジーの内容に入っていきましょう。現在、アセンダスは中国の広州に新しい都市を開発しています。広州は中国における大規模製造業の中心地のひとつです。日産、ホンダ、トヨタの工場もあります。このように広州はアセンダスにとってチャンスのある土地ですが、問題もあります。現地の労働者不足です。 人工が足りないのではなくて、中国の若者がもう工場で働きたいとは思っていないのです。ここで、即座に「製造業のニーズがあるのに、労働力が足りない」というプロブレムステートメントが定義できます。ソリューションとしては「広州の製造業を迅速にインダストリー4.0(スマート・マニュファクチャリング/アドバンスト・マニュファクチャリング)にトランスフォームさせること」になるでしょう。 これはR&Dとは全く異なるアプローチです。R&Dはサプライヤー主導のソリューションです。企業側が「売れるだろう」と仮定して企画した商品やサービスを提供します。一方でイノベーションではマーケット主導でスタートします。まず「どんな潜在マーケットがあるか」を考えて、そこに対するソリューションを考えます。 DBICと共同で昨年からスタートしたイノベーションプロジェクトでも、参加者には最初にプロブレムステートメントを作成してもらいます。これはイノベーションにとって非常にクリティカルで、もし「プロブレム」を定義することができなかったら、どんなビジネスチャンスがあるかも探索できないのです。

中国政府を説得できた理由

タン:広州の事例に戻りましょう。アセンダスは「製造業のニーズがあるのに、労働力が足りない」というプロブレムステートメントを定義し、中国政府に行って「この問題を解決するためにインダストリー4.0を導入するので土地を提供してください」と交渉したわけです。 ここでまたリソースが重要になります。アセンダスは世界に3,000社ほどの取引企業があります。その中には、私達が持っていない素晴らしいテクノロジーを持つ会社が多くあります。現在はその中の2社とパートナーシップを結んで、新しいプラットフォームを開発しています。 DBICのイノベーションプロジェクトでも参加者には体験してただきましたが、私たちも2社のパートナー企業とともに、中国で70社の企業にインタビューを行いました。すると、いくつかキーになるトレンドが発見できました。例えば、現時点では中国におけるアドバンスト・マニュファクチャリングが非常にハイコストであり、参入できる企業が限られる、ということです。理由は、この分野がシーメンスとABBによって独占状態にあるためです。 2018年のDBICシンガポールイノベーションプロジェクトに参加した日本ユニシスの山本恵美様 そこで、アセンダスとして新たにモジュール型でオープンなアドバンスト・マニュファクチャリングを開発し、誰でも安価に参加できるようにしようと決めました。 おさらいになりますが、まず最初にプロブレムステートメントを定義し、現時点でなにが障壁になっているかを明確にし、そして将来的にどのように解決されるべきかを示したのです。 アセンダスは現在、約30社のパートナー企業から問題解決のための機器やシステムの統合ソリューションを提供できるようになっています。コンサルティング機能もあり、企業が新しくアドバンスト・マニュファクチャリングを導入した際のビジョンを提供しています。今後2年間で約6,000人に研修を行い、アドバンスト・マニュファクチャリングの設計ができる人材を育成する予定です。加えて、異なるメーカーのハードウェアを統合管理できるソフトウェアの開発にも注力しています。最後に、イベントやセミナーを通して継続的にナレッジを共有していくことで、マーケットを育成し続けることも忘れてはなりません。 思い出してください。アセンダスは不動産会社です。それなのに、これだけ幅広い領域を手がけています。なぜなら不動産会社は土地を取得しなければ商売になりませんし、政府が土地を管理している中国においては、政府がアセンダスに土地を提供するための「理由」が必要になるからです。

新しい産業を生み出す、というストラテジー

タン:更に、マーケットを創造する必要があります。もしアセンダスがオフィスをつくったら、お客様にそこに入居していただく必要があります。もしオフィス誘致を目的に考えたら、私は製造業の街である広州を投資先には選びません。 アセンダスは新しいプラットフォームを開発することで、新しい顧客そのものを生み出したのです。新しい顧客は、アセンダスがアドバンスト・マニュファクチャリングという新しい働き方を導入し「新しい価値」を創造できることをわかってくださったのです。 ここまで来ると、サイバーセキュリティやIoTといった領域に関連した次のマーケットも視野に入ってきます。イノベーションはテクノロジーだけで起きるわけではありません。このようにマーケットのイノベーションや、ビジネスモデルのイノベーションが重要なのです。新しいプロダクトを創造するだけではなく、プロダクトを購入してくれる新しいマーケットそのものを創造するのです。これがR&Dにはない、イノベーションの特徴です。 これがアセンダスにとって「どのように産業を生み出すか?」という最初のストラテジーです。結果として、先程ご説明した「アドバンスト・マニュファクチャリング」に加えて、「ヘルスケア」「アグリテック/食品」、そして「スマートモビリティ」という新しい産業が生まれ、私たちはこれらを開発先の地域で育成しています。

AIRMakerを使ったオープンイノベーション

タン:次のストラテジーはAIRMakerを使ったオープンイノベーションです。AIRMakerは中国系のパートナー企業とアセンダスで設立したシンガポールにおけるイノベーションネットワークです。私は「アセンダス自身だけでは内部でオープンイノベーションプロジェクトを起こすことは難しい」とわかっていました。ですから、社外にAIRMakerを設立して、その領域のプロフェッショナルを雇って自律的に運営してもらっています。ただ、放任しているのではなく、アセンダスからのスタッフも入ってもらい、活動状況は常に把握するようにしています。 このお話をしているのは、近年、日本企業でコーポレートベンチャーキャピタル(CVC)がブームになっているからです。CVCを設立するときに重要なのは、その目的を明確にすることです。利益が欲しいのか、既存事業を見直したいのか、新規事業を興したいのか。目的によってVCの役回りは全く変わります。 2019年のDBICシンガポールイノベーションプロジェクトへの参加者も出席し、アルウィン氏とディスカッションを行った AIRMakerはアセンダスにとって外部企業と協業するときの窓口になります。スタートアップが新しい事業を興した後にも、AIRMakerの役割があります。例えば最初に定義したプロブレムステートメントがきちんと解決されているかをチェックする役割。そしてテクノロジーに関連する企業間のマッチングやスタートアップ企業へのファイナンスの能力もあります。また、技術の商品化に関するノウハウもあります。IPOやM&Aといったエグジットの機能もあります。 そのAIRMaker自体すら、どんどん変えていっています。昨年DBICから来た皆さんに見て頂いたAIRMakerとは既にかなり違った組織や人員になっています。イノベーションで重要なのは変化です。すばやく失敗することを学んで、ひとつのことに固執せずに切り替えていくことです。ひとつのことを長くやるのなら、それはR&Dです。

ソフトスキルに特化した新しい人材育成

タン:私達がシンガポールで運営しているコワーキングスペース「theBridge」が3番目のストラテジーです。最後の4番目はシンガポール政府と共同で運営を始めた、将来のための人材育成プログラム「Catapult」です。 Catapultは伝統的な技術習得ではく、ソフトスキル、つまりリーダーシップやコミュニケーションの訓練をする場所です。例えば私達アジア人はコミュニケーションが苦手な傾向があります。そこで、シンガポールの劇団と提携して、プロの役者からコミュニケーションを教わるレッスンを実施しています。また、同じくアジア人の特徴として過剰労働があります。それによって心身に不調をきたす人も多く居ますね。 そこで、私達の顧客企業であるジョンソン&ジョンソンの「Human Performance Institute」で行われていた時間管理やモチベーション管理、集中に関するプログラムが非常に優れていたので、そのままCatapultのプログラムとして取り入れ、将来のリーダー人材が広く受講できるようになりました。

イノベーションの方程式

タン:最後に、アセンダスがどのように継続的なイノベーションを起こしているか、そのプロセスを「問い」を通して振り返ってみます。 どのように成長するのか? どのように競争するのか? どんなリソースがあるのか? プロブレムステートメントは何か? 実現するための制限や障害は何か? ビジョンは何か? 成功とは何なのか? パートナーは誰なのか? どうやってパートナーと共同でソリューションをつくるのか? テクノロジー、マーケット、ビジネスモデルの3つのイノベーションになっているのか? どうやって実行するのか? 実行するための人材は確保できているのか? これがイノベーションの方程式です。CVCをやればやるほど、これに向き合うことになるでしょう。資金があったとしてそれを何の目的に使うのか? その目的は利益なのか、既存事業の見直しなのか、新規事業なのか? アセンダスがDBICとパートナーシップを提携したのは、私達がシンガポール、インド、中国、東南アジアで事業を展開していく中での、日本のカウンターパートの役割を担って頂くためです。メンバー企業の皆さんは、アセンダスのストラテジーのどれかひとつにでも興味をお持ちであれば、いつでも気軽にアセンダスに相談に来てください。 私達はまだまだ学びの途中です。日本企業の皆さんと協業することで、私達もまだまだ成長できます。冒頭でお話したように、イノベーションは自社のためだけではないのです。パートナーの皆さんと共に成長することがイノベーションです。

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