メインスピーカーはインドを拠点としたグローバルなソフトウェア開発会社であるインフォシスのCFOを2011年まで務めた後に、インドを代表するファンドのひとつ「Aarin Capital」を共同創設したモハンダス・パイ(TV Mohandas Pai)氏です。モハンダス氏は世界規模でのスタートアップ投資を行う一方、インドの教育改革や社会問題解決にも取り組んでいます。 モハンダス・パイ(TV Mohandas Pai)氏 本プログラムでは、冒頭にTiE日本支部プレジデントのV.スラリム氏からTiEについて説明があり、続いてモハンダス氏によるインド市場とスタートアップエコシステムの紹介、最後に質疑応答と続きました。本レポートでは一部内容を再構成してお伝えします。
スリラム:TiEは最初「The Indus Entrepreneurs」という名称で、1992年にシリコンバレーでインド出身の起業家グループによって設立された非営利組織です。当初はメンタリング、ネットワーキング、教育の3本柱を通してシリコンバレーに居る後輩のインド人起業家を支援することを目的としていました。現在では国籍や人種を問わずグローバルに活動するため「TiE」と改称し、世界最大規模の起業家支援組織に成長しています。 V.スリラム(V.Sriram)氏 世界14カ国に61箇所の拠点(チャプター)があり、13,000人のメンバーが在籍しています。日本のチャプターについては、2019年1月から私がプレジデントを務めています。毎年5月にシリコンバレーで開催するTiE最大規模のイベント「TiEcon」では、6,000人以上の起業家とベンチャーキャピタルが集結します。日本でも「TiE Japan Night」というネットワーキングイベントをスタートしています。 これからご登壇いただくモハンダス・パイさんは、私が前職のインフォシスに在籍していたきにCFOだった人物で、当時の時価総額が1億USドルくらいだった会社を、2011年の退任時には350億USドルにまで成長させた実績をお持ちです。それに加えて、ベンチャーキャピタルやストックオプションといったスタートアップのための制度がなかった当時のインドで、政府と交渉しながら新しい制度を整えていったのもモハンダスさんです。 インフォシス退社以降はご自身で400億ドル規模のインド最大規模のファンドを運営もされています。社会活動家としても有名で、インドで年間1,700万人の子供たちに無償でランチを配布するボランティア活動も行っていらっしゃいます。モハンダスさんは「起業は社会に良い影響を与える」という信念をお持ちなので、そこをテーマに本日はお話いただきたいと思います。
モハンダス:世界最大のデジタルトランスフォーメーションは、今この瞬間、インドで起きています。13億5000万人のインド人のうち、ピラミッドの下層の方に居る貧しい国民こそが、若い起業家たちが提供するデジタルテクノロジーの受益者として、新しい世界へと移行しています。 インドの人口は日本の約10倍。2018年の出世率は2.2で、実質GDP成長率は7.2%です。中国と比較してみると、ちょうど14年遅れでよく似た成長曲線を描いています。2018年のインドのGDPは、2004年の中国のそれと一致しています。そしてこの後、必ず追いつき、追い越します。 過去200年間の世界経済で起きたことと、正反対のことが起こっているのです。2016年時点でアメリカ、EU、日本というOECD諸国を足したGDPは40.4兆USドルで、中国、インド、その他地域を足したRoW(Rest of the World)の34.9兆USドルを上回っています。しかしこの数値は2021年には拮抗し、2031年にはOECDが53.8兆USドル、RoWが84.3兆ドルという大差で逆転すると予想されています。 これは貿易、グローバルな資金移動、そして事業のあり方の根底において、21世紀最大規模のディスラプションを引き起こすでしょう。2030年には世界経済の40%をアジアが占めることになるのです。
モハンダス:インドは製造業とインフラにおいて世界最大級の位置に付けています。製鉄とセメントの生産では世界第2位、2輪車の製造では1位、4輪車の製造で5位、携帯電話利用者数は世界2位、石炭の算出は世界2位、航空利用者数は世界第3位、鉄道利用者数は世界第4位。多方面に渡って上位を占めているので、インドと中国が多くの領域において世界最大規模の市場であることがおわかりいただるでしょう。 農業においてもインドは強大です。穀物と野菜の生産量は世界第2位、牛乳、木綿、砂糖は1位、農地面積と家畜数も世界第1位です。 人口構成が若いのも特徴です。そしてそのトレンドは2100年まで続くと予測されています。現在でも毎年880万人が大学を卒業していますが、2030年には1,600万人に増える見込みです。これは、世界が必要としている大卒者人材の総数を上回る数になります。
モハンダス:これまではインドの良い面ばかりをお話してきましたが、もちろん課題もあります。まず、インドのGDPをセクター別に見ますと、農業が17%、製造業が29%、サービス業が54%です。この比率は中国だと8%、40%、52%となりますので、インドでは農業従事者を製造業に転換することが急務であることがわかります。 インドの人口の約43%が農業に属していますが、農業は成長率が3.4%程度に留まっています。つまり、次の10〜20年のうちに約5億人の人口を農業から製造業またはサービス業に転換する必要があります。所得についても、農業と製造業で3倍、農業とサービス業ですと4倍の格差がついており、この格差がインド社会での緊張関係を生んでいます。 都市化の遅れも課題です。都市住民の割合は2017年でインド34%です。これは中国の59%、世界平均の55%と比較してもかなり遅れています。仕事も足りていません。2018年には1100万件の雇用を生み出していますが、必要な数に対して400万件足りていません。
モハンダス:スタートアップの拠点といえばアメリカと中国ですが、今ではインドが世界で3番目に大きなスタートアップエコシステムを持っています。過去数年で4万社が起業し、1,300億USドル以上の価値が生まれています。2018年だけでもインド内で110億USドルの資金調達が実施されています。 2018年現在、インドには26社のユニコーン企業が存在します。インドからのソフトウェアサービス業の輸出額は2018年に1,260億USドルあり、世界からのアウトソース先の60%はインドです。2025年にはユニコーンの数は100社に増え、10万社のスタートアップが存在し、325万人の雇用を生むと予測しています。 例を挙げると、私の運用するファンドが5年前に900万USドル投資したBYJU'sという教育関係のスタートアップは、現在の時価総額が52億USドルにまで成長しています。7年前にアメリカから来た若者ふたりがバンガロールで起業したZoomcarというスタートアップは、今ではインドで最大の自動運転会社に成長しました。 このような急激な市場成長を受けて、中国のアリババ、テンセントがインドに巨大な投資を行っています。インド人にとっては、中国からの投資が大きすぎることは驚異に感じる部分もあるため、ぜひとも日本企業の皆様にも参加していただきたいと願っています。
モハンダス:スタートアップエコシステム以外にも、インドの急成長を支える基盤がふたつあります。スマートフォンの普及と、インディア・スタックです。まず、インド13億の人口のうち、既に8億人がスマートフォンを持ち、12億USドルのモバイルエコノミーが生まれています。 特徴的なのはプライベートな利用だけではなく、ビジネスにスマートフォンが活用されていることです。例えばこれまで路上で絵を売っていた人が、スマートフォンを通して世界中の人に対して作品を売るようになっています。 世界的に見ても、76億の地球人口のうち、60億人が携帯電話を持ち、そのうち46億人がスマートフォンを持っていると言われています。このスマートフォンの普及は世界経済に対して破壊的なデジタルトランスフォーメーションを引き起こすでしょう。
モハンダス:インドの急成長を支える最後の基盤が「インディア・スタック」です。その名の通り「スタック(積み重ねる)」するように、4つのレイヤーから成るプラットフォームシステムで、オープンソースかつ誰でも無償で使えるLinuxのようなものだとお考えください。 最下層の「Presence-less layer」は、Aadhaar(アダー)と呼ばれる国民識別番号システムです。これは、既にインド国民12億人の生体認証データが一元管理されています。下から2番目が「Paperless layer」で、Aadhaarに基づいたKYC(本人確認)や電子証明を司ります。3番目が「Cashless layer」は銀行間送金などを行う仕組みで、先月だけで約6億7,500万件の取引実績があります。最上位が「Consent layer」というところで、利用者本人が許可した範囲での個人情報を必要に応じて開示できる機能があります。 これまでであれば、こういったシステムやデータは、GAFAに代表される大企業が独占していたでしょう。しかし、インドは2010年からこのインディア・スタックを準備し、スタートアップでも、外国企業でも、無償で利用できるようにしてしまいました。結果として飛躍的な効率化が生まれています。例えばインドは29の州から成り、ひとつの州がヨーロッパの国より大きな規模があります。そこに18種類の税金がありました。これをインディア・スタックによって2年間で完全電子化し、今では確定申告をスマートフォンで2分で済ませられるようになっています。 インディア・スタックを通して自然に膨大なデータの蓄積が進めば、AIやマシーンラーニングを使ったイノベーションが生まれる土壌ができていくでしょう。インドは国を挙げて、膨大な数の実証事件を行い、マーケットへの参入障壁を下げています。問題解決のために活動する若いスタートアップが事業をしやすいように国の仕組みを最適化しているのです。 こうして生産性を上げ続けることで、インドは2030年に10兆ドルという経済規模を実現できると信じています。
出席者:インディア・スタックの運営主体は誰なのですか? モハンダス:インディア・スタックの開発についてはボランティアによって行われました。アダーの運営については、に政府機関であるインド固有識別番号局が管轄しています。電子決済についてはインド決済公社が管轄しています。銀行などの民間企業は、管轄機関から認可を受ければ使うことができます。外国に対してもオープンで、現時点までに20カ国からインディア・スタックを使いたいという申し出があり、そのうち10カ国はこれから10ヶ月以内に利用開始します。 出席者:銀行が独自に持っていた仕組みとインディア・スタックはどのように棲み分けているのですか? モハンダス:インディアン・スタックができる前に銀行が自前で作っていた仕組みは併存していますが、インディア・スタックの方が手数料が安いので、どんどんそちらに利用者は流れています。インディア・スタックには「一回の取引金額が20万ルピー以下」という制限があるのですが、これは全取引の99%を占める金額であり、金額が小さいのでハッキングの対象にもならない、という効果を生んでいます。また、スマートフォンに最適化されたデザインになっているのも特徴です。 DBIC代表 横塚裕志 出席者:インディア・スタックのセキュリティ対策は誰が責任を持つのですか? モハンダス:12億人分のアダーの生体認証のセキュリティについては、インドの司法省が管轄しています。電子決済についてはインド決済公社が中央銀行とのやり取りを管轄をしているので、そこがセキュリティについての責任者になります。個人間の送金においても、結局はアダー番号に紐付いた銀行口座同士のやり取りになりますので、銀行間送金におけるセキュリティが担保されていればよいということになります。 出席者:インディア・スタックとGDPRやGAFAがそれぞれ独立してしまうと、ユーザーにとってはインターネット世界の分断につながるようにも思えますがいかがでしょうか? モハンダス:私たちインドはGDPRと同じ方向性です。GAFAがやっていることは特定企業による個人情報の独占です。アメリカが自国内で自国のルールに基づいた情報管理をしたがるのは自然なことですが、GDPRはそれに対抗した個人情報の保護のために生まれ、インドの最高裁も個人情報は個人に帰属するという判決を下しました。 世界が分断してしまうのではないか、という懸念に対しては、明確に「それはない」とお答えします。個人認証とデータは別なのです。認証とデータを完全に切り離してしまえば、データはどこにあっても構わなからです。認証は「あなたが誰であるか」を判別するものですから、ワンタイムトランザクションでも構いませんが、グローバルである必要があります。一方でデータはローカルで問題ありません。 出席者:スタートアップに期待したい課題解決はありますか? モハンダス:サプライチェーンが問題です。インドにおけるサプライチェーンのコストはGDPの14%にもなります。中国の6%、アメリカの5%に比べて高コストです。広大な土地の膨大な人口に対して、良質な教育、ヘルスケア、水、エネルギーをどのように届けるか、ということです。問題は山積みです。 一方で、良いニュースとしては、若者はこういった問題を「解決可能」だと思って取り組んでくれることです。例えば3年前からバンガロールのスタートアップが、農家のサプライチェーンの改善に取り組みました。これまでは仲介業者が多くて、農家が受け取れるのは最終価格の35%程度でしたが、今では毎日500トンの農作物を農家から直接消費者に届ける仕組みができています。長年困っていた問題が、たった3年で解決してしまったのです。 出席者:インドではスタートアップは政府と協業する必要があるということでしょうか? モハンダス:3年前にインドのモディ首相がスタートアップを集めた会合を開いて「みなさんのために法制度を変える準備がある」と告げました。2012年頃、インドにあったマネーロンダリング関連の法律が原因で、スタートアップが資金調達をしづらくなっていました。そのとき、この会場にも来ている26歳のファンド担当の若者がデリーに行って、政府の担当者と10分話しただけで、法律が変わったという事例があります。インド政府はスタートアップを本当に助けるのです。 出席者:インディア・スタックの将来の展開について教えてください。 モハンダス:60億人の開発途上国の人々に、インディア・スタックを使っていただきたいと考えています。先進国は、すでに独自制度があり、それぞれ固有の事情を抱えているので外から新しいシステムを入れることは難しいでしょう。今、貧しい暮らしをしている60億人が発展するきっかけとしてインディア・スタックが役立てば、こんなに素晴らしいことはありません。 出席者:日本へのアドバイスをいただけないでしょうか。 モハンダス:まず、若者を信じてください。若者はときに愚かに見えるかもしれませんが、賢く、行動力があります。次に、若者に資金提供をしてください。失敗することもあるでしょうが、失敗させることこそ重要なのです。ベンチャーキャピタルの市場を日本に拡充させ、ファンド・オブ・ファンズを確立させてください。3年前に私たちがモディ首相に訴えた際、彼はすぐに10億USドルという資金を拠出してくれました。 最後に、若者のビジネスに必要であれば規制をどんどん変えてください。世界はものすごい速さでイノベーションによって変化しているのです。古い世界はもう存在しないのです。
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