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【レポート】横塚裕志が聞きたいシリーズ第19回:Learning by Making - クリエイティブ人材育成の試み -

開催日:

2019年12月3日(火)、東京・日本橋のDBIC Tokyoにて「横塚裕志が聞きたいシリーズ 第19回:Learning by Making - クリエイティブ人材育成の試み -」を開催しました。

スピーカーの神奈川大学経営学部の道用大介准教授は2014年に日本の大学では初となるファブラボ(3Dプリンターなどを備えたデジタルファブリケーション工房)を設立しました。 講演では、同大学の経営学部で実践しているファブラボを使ったクリエイティブ人材教育についてお話しいただきました。本レポートでは講演内容を再構成してお伝えします。 道用 大介様(神奈川大学 経営学部 准教授)

ファブラボはMITから生まれた

道用:私は神奈川大学の湘南平塚キャンパスで「ファブラボ」と呼ばれる工房を運営しています。ファブラボとはデジタルファブリケーションを中心にした工房で、具体的には3Dプリンターやレーザーカッターが置かれていて、それを使ってものをつくる場所です。 「ファブ」の語源は「Fabrication(つくること)」と「Fabulous(楽しい)」に由来していて、MITのニール・ガーシェンフェルド教授が概念をつくり、世に広めました。 そもそもガーシェンフェルド教授は工学系の学生のために「How to make almost anything」という講座を開設したのですが、蓋を開けてみると建築系や芸術系からも多様な学生が大勢集まってきたそうです。初期の授業で学生がつくった作品の中から「ScreamBody」という作品を紹介します。

この作品は「思わず叫びたいときにでも、周囲への配慮から叫べない」というニーズに着目したMITの学生が、どこでも叫ぶために制作したものです。ガーシェンフェルド教授が想定した方向性とは異なり、学生たちが「自分の欲求を満たすもの」を勝手に作り始める「現象」が起こったわけです。 これを受けて教授は、社会実験的にインドやノルウェイといった様々な場所にファブラボを開設していきました。現在では世界で1,800を超えるファブラボが存在し、MITを中心に国際的なネットワークが形成されています。神奈川大学のファブラボもそのひとつというわけです。

神奈川大学でのファブラボ立ち上げ

道用:私は2010年に他の大学の経営工学部から神奈川大学の経営学部に移って来たのですが、最初に驚いたのは、学内の商品企画やビジネスプランのコンテストで学生がスライドだけを使って発表していることでした。 発表形式については「文系の学部なので仕方がないかな」とも思いましたが、肝心のアイデア自体も、どこかで見たようなものの焼き直しか、あまりにSF的な発想で技術とのマッチングができていないかのどちらかが多かった。リアルな開発やテクノロジーについての知識が足りておらず、結果として事業計画における財務諸表の見積りも甘くなっていました。 教育の現場と経営とテクノロジーの距離が遠すぎると強く感じました。文系・理系と分けるのではなく、とにかく「やってみる」「つくってみる」文化を生み出したいと思ったのですが、自分でも方法がわからずに悶々とする日々が続いていました。 そんなある日、忘れもしない2013年、代官山の蔦屋書店で「FABに何が可能か」という本に出会いました。読んでみると3Dプリンターがデスクトップで使えるようになった、というようなことが書いてありました。 私は高揚して翌日に学部長の部屋に行って「工房をつくりましょう」と直談判し、その後も何度も交渉を続け、ようやく大学の廊下の片隅に工房用スペースを確保しました。そこに私が自費で購入したレーザーカッター1台、3Dプリンター3台を置いたのが本学のファブラボの始まりでした。

ファブラボに接した学生がどのように変わったか

道用:道具に触れた学生が最初に始めたのは「遊び」です。ガーシェンフェルド教授の授業で学生が「ScreamBody」をつくったように、本人たちの好奇心や欲求を満たすようなちょっとした遊び道具でした。チュッパチャプスのアメの部分を隠して何味かわからないまま選ぶための箱をつくったり、精巧なフェイクのコンセントをつくって実際のコンセントの横に取り付けたり、といったものです。 神奈川大学ファブラボ初期の学生作品 しかし、遊び心を満たされた次に学生たちが陥るのは「何かをつくりたいけれど、何をつくったらいいのかわからない」という状況でした。日本中どこのファブラボに行っても、この状況の人で溢れています。生まれながらにクリエイティブな心を持った少数の例外を除いて、普通の人はこうなってしまって当然なのです。 そこで私は「自分の中から出てくる欲求だけに頼らず、他者や社会との関わりを通して課題を発見させていかないと、この先がない」と考えました。例えば、大学がある地域の「お祭り」です。文系の学生にお祭りの出店企画を考えさせると食べ物屋さんしか出てこないのですが、実際に地域の人と対話を通して、学生は「大人がお祭りに来るときは子供の付き添いだから自分は楽しくない」「とはいえ大人向けの企画をつくると子供が楽しめない」という課題に気づきました。 最終的に学生が考えたのは、布のスクリーンと照明の間に子どもたちを立たせ、布に写った子供の影をデジカメで撮影して、その場で写真の影の部分をカッティングマシンで切り抜き、子供の影絵をシールにして販売する、という企画でした。その瞬間の子供の姿をシールにする、という企画は評判を呼んで信じられないほど長い行列ができ、保護者さんたちから学生に「君たちはなんて良い活動をしているの」というお褒めの言葉もかけていただきました。 地域のお祭に学生が出店した影絵シール制作サービス この経験を通して私が実感したのは、「つくる手段」を持っている学生が「自分自身の興味」から少し離れたところに行くと、むしろ良いアイデアが出てくるということでした。

まずつくってみることからビジネスが立ち上がる

リフォーム廃材を元に制作された下駄を手にする道用様 道用:そこから先は、外部のニーズを調査してファブラボでものづくりをする事例が多く生まれました。若い女性向け切削機を認知向上する、災害時の仮設住宅を竹を使って簡単に構築できるモジュールをつくる、視覚障がい者のみなさんの白杖を個性的にデザインする、リフォーム現場の廃材を使って下駄をつくる、などなど。 竹を使った仮設住宅のプロトタイピングをする神奈川大学の学生 神奈川大学の学生による白杖の持ち手のデザイン そのうち、私が最初に目指していた「まずつくってみる」という文化が、徐々にですが芽生えてきます。「自分たちで何でもできる」という雰囲気が醸成されてくるのです。 例えば授業の自由課題でエレキギターをつくった学生がいました。まず彼は1週間ほどかけてエレキギターを造作して「意外と簡単につくれる」という実感を得ました。彼はもともとベースを弾いているのですが、「他人と同じ楽器は嫌だ」という理由でハンドメイドのベースを使っていたので、そこにマーケットの可能性を感じました。自然と楽器のマス・カスタマイゼーションのプロトタイピングを行っていたわけです。 神奈川大学の学生がデジタルファブリケーションで制作したギター ギターをつくった機械は80万円ほどするのですが、ギターだけであればもっと小型で単純な機械で可能なことに彼は気づきます。そこで、今の彼は楽器制作に特化した最低限の仕様の工作機器そのものを開発しています。 実現すれば、80万円の機械にはスピードでは追いつかなくても、安価な機器の数を増やせば大量生産も可能になります。いつしか、モノのプロトタイピングがビジネスのプロトタイピングになっていたのです。 学生はギターをつくるための安価な機器そのものの開発を始めた

「LEARNING BY MAKING」の意味

道用:実際に手を動かしてモノをつくることで、「受動的な消費者」から「能動的な創造者」に変わることができます。ファブラボ以前の学生が、どこかで見たことの焼き直しのようなアイデアしか出せなかったのは、インターネットやテレビで見た情報を消費していただけだったからです。 具体的なモノにするためには頭の中にあるいろんな可能性を、一度ギュッとまとめて外に出す必要があります。そしてそのモノを見ながらまた頭の中で可能性を広げていくことを繰り返していきます。これはモノづくりだけではなく、何をするにしても必須なプロセスでしょう。 近年になって流行しているデザインシンキングでもプロジェクトベースドラーニングでも「アイデアを出すところまではすんなり行くけれど、その先に行けない」という悩みをよく聞きます。デジタルファブリケーションを使えばその壁を乗り越えることができます。 また、モノとしてアウトプットすることは個人のアイデアの輪郭を際立たせる効果があります。言葉のレベルでは似たようなことを言っていた学生たちにモノとしてプロトタイピングさせると、それぞれ全く違うものをつくってくる、というのはよくある話です。

つくるのは「モノ」だけではない

道用:2015年にボストンで開催された「世界ファブラボ会議(FAB11)」に参加した時、私は衝撃を受けました。事前の想定では「モノづくり」の話をする場所だと思って出向いたのですが、実際には「How to make Business」から「How to make Education」「How to make City」「How to make Policy」まで「つくること」全般について議論が交わされていたのです。 要するに「自分でなにかをつくること」を体験したことがある人は、その対象が変わっても「自分でつくることができる」というアプローチが可能になるのです。 ビジネスだけでなく、社会全体が従来の上意下達の「マスタープラン型」から分散した「ネットワーク型」へと急速に変化しています。モノづくりも大量生産からマス・カスタマイゼーションへと移行しています。私が専門とする教育の分野も例外ではありません。 神奈川大学の平塚キャンパスも2022年4月にみなとみらいに移転することが決まり、テクノロジー/デザイン/ソサエティ/ビジネスの4軸を交差させた「X Program」という新しい試みを始めます。私のような経営学部の人間と文化人類学の教授がコラボレーションしたプログラムをつくっていきます。 今までは「儲からないから」という理由で無視されてきた人たちを救うようなビジネスをつくったり、誰も考えなかったようなことを小さくてもいいからやれる学生を育てたいと思っています。今のファブラボからステップアップして、新しい教育をつくっていきます。 DBIC代表 横塚裕志

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著者紹介

横塚 裕志 Yokotsuka Hiroshi
一橋大学卒業。1973年、東京海上火災保険入社。2007年に東京海上日動火災保険の常務取締役に就任、2009年に東京海上日動システムズ株式会社代表取締役社長就任。2014年より特定非営利活動法人CeFIL理事長となり、2016年にデジタルビジネス・イノベーションセンター(DBIC)を設立、以降代表を務める。DBICでは日本を代表するメンバー企業約30社と共に、DX促進や社会課題の解決に取り組んでいる。
  • 特定非営利活動法人CeFIL 理事長 / DBIC代表
  • 日本疾病予測研究所取締役
  • 富山大学非常勤講師

デジタルビジネス・イノベーションセンター(DBIC)が活動を続ける理由

設立エピソード

2014年、世界で起きていることを肌感覚で確かめるため、半年をかけて世界を回った。そこで感じた危機感を日本企業に正しく伝え、行動を促すための研究会を発足するために奔走。26社の名だたる企業と世界有数の大学と連携し、デジタルビジネス・イノベーションセンター(DBIC)の立ち上げとともに我々のイノベーションジャーニーが始まった。

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