オードリー・タンは、「Join」という「仕組み」をつくることで、政府と国民が双方向に議論できる場を設け、誰もが政治参加できる状況を実現した、と書いている。(自著「オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る」)
「Join」は参加型のプラットフォームで、国民が生活の中にある問題を解決するための新しいアイデアを書き込むことができる。そして、その意見を聞いた人は即座に自分の意見を伝えることができる。それに対して、行政側がコメントすることで議論が進み、政策に反映することもある。
これによって、国民にとっては、今までは選挙の時にしか感じなかった政治参加の場が大きく増えることになり、政府と一緒に国を良くしていこうという意識が高揚していく。また、政府側も気がつきにくい課題や解決方法を聞くことができ、政策に厚みが増すという効果がある。まさに、アナログ時代ではなかなか難しかった政治への直接参加という民主主義の根幹を、この新しい「仕組み」をつくることで、意図的に実現することになったというわけである。
政治への関心を高めよとか一票の重みとかという投げかけだけでは文化や常識は変えられないが、新しい「仕組み」が文化・常識をあっという間に変革していく。すさまじい効果だ。
私は、DXというのはこういうことではないかと感じている。デジタル技術によって新しい「仕組み」をつくることで、今までできなかった文化レベルの変革を意図的に実現しよう、ということではないだろうか。
上記のオードリー・タンの事例はまさに民主主義の原点回帰に焦点をあてたものだが、例えば、「教育」に焦点を当ててみるとどうなるだろうか。1クラス40人の教室での授業では、今までは個人ごとの理解度を見ながら個人ごとにアドバイスすることが難しかった。しかし、「デジタル教育」という新しい仕組みをつくることで、個人ごとの育成という長年の夢が実現できるのではないだろうか。教科書を単にデジタルにしただけの文科省のやり方では無理だが、新しい仕組みを考えればできるのではないだろうか。個人ごとの学習プロセスをデジタル基盤に載せ、個人ごとの感覚を可視化することで、先生が個人ごとの興味や理解度を把握してアドバイスすることができそうに思う。文科省とは別の動きで、学校が独自に新しい仕組みにトライしているところが出てきていて興味深い。DBICでもトライを始めているが、「変革」のエンジンは国よりも個別の学校や機関の取り組みに期待する時代になっているようだ。
オードリー・タンの取り組みも、教育の変革も、政府が一律に変革を主導するのではなく、市民側からの新しい取り組みが変革をドライブしていく典型的な事例だ。デジタル技術とは、市民が、市民のために、市民の夢を実現するためのものだと考えると楽しい。そして、何かできそうな気分になる。
さて、大企業の文化・常識であるピラミッド型組織構造を、新しい「仕組み」で破壊できないだろうか。デジタル技術を使って、社員側から変革をドライブできないだろうか。もちろん、経営者が問題の所在に気づき、経営側から変革するルートも求めるところだが、それが期待できない企業では、「仕組み」でドライブするルートが可能性としてあるように思う。
それは、意思決定のプロセスやそのための情報を可視化して組織内全員で共有してしまう「仕組み」だ。ピラミッドの頂点にいる組織長だけが意思決定し、それを下に流すような構造では、組織内のメンバーの能力が発揮されない状態になり、とてももったいないし、生産性が上がらない。だから、「仕組み」で全員が意思決定してしまう感じにできないか、というチャレンジだ。
例えば、Slackのようなツールを使って、組織のパーパス・タスクの予定・タスク実施状況・予算費消状況などを始めとして、組織長が持っている情報は全部可視化する。そして全員が活動する中での判断ポイントと自分が選択したい方法とその理由を書く。それに反対する意見があれば自由に書く。なければ、そのまま執行する。というような「仕組み」を運営することができると、組織がフラットになり、全員が意思決定し、権限が広がっていくことが実現できないだろうか。そうなれば、報告のための会議はなくなるし、自分の思いが尊重される。そして、リーダーは命令・指示からサポートに役割を変えることにならないだろうか。
「仕組み」で会社を変える、そういう取り組みをみんなで共有して、会社を自分たちの手でじわじわと変えていく。そのような文化に日本を変えていきたい。
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