ビジネス部門が施策を企画し実施する場合、今やデジタルを避けることはできない。特に、金融やサービス業ではそのサービスがデジタルでできているようなものだから、その濃度はかなり高い。
しかし、ビジネス部門がほとんど関与せずに、デジタル部門やパートナーに丸投げしている会社が多い。そのような状態では、命が宿る具体的な部分が人任せになり、思っている効果が実現できていない可能性が高い。もちろん、こんな状態でDXという変革などできるわけがない。 そこで、丸投げをしてしまう理由を考えながら、その問題点と改善策を考えてみたい。
丸投げしてしまう理由は4つくらい考えられる。
「丸投げ」により起きる問題点を具体的な事例に即して考えてみる。 「小学校教育の電子化」を例にしてみる。この例示は実際の事実とは異なるかもしれないが、わかりやすいモデルとして見ていただきたい。 「小学校教育を電子化する」という命題を企画側がつくり、それをどこかに丸投げしたとしよう。こんな案が出てくるとまずいなと思う案は、現在の教科書を単にデジタル化して、タブレットで読めるようにし、小学生にタブレットを配るという案。
一方、もう少し本質的に教育のあるべき姿を構想すると、今までより生徒一人一人に寄り添った教育ができないか、あるいは、今までは先生からのダウンロード型が主流だったが、生徒のアウトプット型に変えられないか、ということを実現する案もあるだろう。
問題は、例示したような案を考えるプロセスに企画側が参画しないことで、前者の案のような単なる電子化施策に終わってしまい、ほとんど効果が出ない投資になってしまうということだ。ただ、企画側が参画しても「単なる電子化」で進んでしまうことも想定できる。企画側の人材の質も問われることになるのだろう。
改善策は意識の問題からスキル、仕組み、人材など多岐にわたると思うが、今回は基盤となる意識の問題に着目して考えてみた。
(1)誰もがデジタルを「仲間」とする企業カルチャーを醸成する まずは、デジタルの価値は大きく、自分の施策を実現するための最大の武器だからうまく使わない損だ、という感覚を社員に植え付けていく努力をすべきと思う。そして、デジタルは単なる電子化の道具ではなく、今までの常識を変える力があることを学ぶ機会をつくる必要がある。誰もが、自分ごととして、デジタルの可能性を使って将来のビジネスをつくっていく自覚と責任を持つ会社にしたいものだ。
(2)「デジタルを下に見る」という差別的偏見に気づき改める アンコンシャス・バイアスなので気がつかない問題かもしれないが、「ビジネス部門がデジタルを下に見ている」という差別的な偏見があり、これを改める必要がある。「下に見ている」という偏見はあちこちで見受けられる。
無意識のうちの差別的偏見がデジタルへの関与を鈍らせているように思う。DXが進まないとしたら、それはまずはビジネス部門の責任だという認識が持てないうちは何もできない。
以上、いろいろと書いてきたが、この問題は簡単ではない。この続きは、また書こうと思うが、ふと気がつくのは、そういうことを議論する場がないということ。ビジネス部門の言い分を聞いてみないといけない。
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