【横塚裕志コラム】組織の時代から  個人の時代へ  シフトしている

少し前のコラムで書いたが、デンマークと日本との競争力の違いは何かを考えてみると、競争力の根源が「組織」から「個人」にシフトとしているということではないかとの思いに至る。理由は以下の通り。
1989年から日本は世界競争力ランキングで1位を5年続けている。「24時間働けますか」が流行語大賞の年だ。今は、残業無し・5週間の休暇というデンマークが、日本の生産性の1.5倍で1位を連続してとっている。毎日同じ仕事を体力で頑張るゲームから、イノベーション・創造性で価値をつくるゲームに世界が変わってきたにもかかわらず、日本は相変わらず体力勝負をしているという結果と理解すべきなんだろうと思う。

1980年代の高度成長の時代は、規模を大きくして効率で競争する時代であった。それが「組織」の時代。この時代は、組織が一致団結し、個人は「滅私奉公」で組織力を上げた。しかし今は、価値創造の時代であって、創造性・イノベーションで競争する時代。この時代は、創造性を発揮するのは個人であり、個人が主役の時代になってきたと考えるべきではないかと思うのだ。
創造性は個人の自律なしには育めないと考えれば、企業としての文化を「組織」から「個人」に大転換することが競争力を得る意味で必須の時代になっていると理解すべきだと思うが、いかがだろうか。

それでは、「個人」の時代に大きくシフトするために企業は何をすべきなのだろうか。このパラダイムシフトは想像以上に大きな変化だ。私たちの認知を180度変える必要がある事態だと認識すべきだろう。例えば、20世紀は課長が「おい、飲みに行くぞ」と言ったらみんなついてくるのが普通だったけど、今はパワハラで訴えられる時代になっている。例えはよくないが、これくらいの大転換と認識すべきだろう。
個人の時代をつくるための最大の基軸は、「社員をリスペクト」することではないかと考える。それを具体的なことで考えてみよう。例えば、以下をイメージしてみた。

1.ピラミッド組織からフラットな組織へ
部長や課長が「指示」を出すことで、社員の創造性や想いを殺すことがあってはならない。故に、基本的に「上意下達」はなし。意思決定の最終権限は組織長にあるものの、決定までのプロセスは民主的でなくてはならない。
また、指示の問題だけでなく、情報の問題も大きい。組織内全員が公平に同じ情報にアクセスできる状態をつくる。組織内のだれもが同じ情報を持って意思決定することが自律状態をつくること。
つまり、組織内は誰が偉いということはなく、公平に対話して、職位の上下や年齢関係なく、純粋にお客様にとって価値の高いサービスを決めていくことが重要だ。創造性が高いのはむしろ若い人、ハンデを持つ人なのだから。

2.ゼネラリストから専門性
数年ごとに多くの部門を経験することで社員が育成される、という常識が正しいのだろうか。組織力を上げるためには、組織を管理するマネジャーを育成する必要があり、そのためには多くの部門での経験が生きてくるというのは理解できる。しかし、社内のノウハウを身に着けたからと言って、世界で競争する創造力を得ることにはならないだろう。改善はできても、イノベーティブな発想にはなりにくいのではないだろうか。
むしろ、各領域のプロ人材を育成することに注力するべきではないだろうか。イノベーションのためには、市民の潜在的な課題を感じ取る強い感性を持つデザイナー、そのアイデアを事業として構成する能力を持つビジネスアナリスト、それをスケールさせるためのマーケッター、などなど、各社の戦略に沿ったプロ人材を育成することが、個人の能力を生かし、企業の競争力を上げることにつながるのではないだろうか。

3.勤務部門は個人が決める
各個人がどの職場で働くかはそれぞれの個人の希望で決めることにするのだろう。好きなところで働くのが一番能力を発揮できるだろうし、創造性も湧いてくるだろう。

4.研修のスタイルを集合研修から個人の学び支援へ
個人が自分の能力を自分が選んだ職場で生かそうとするわけだから、同期一律の5年目研修とかはない。各個人が希望する学びを会社が支援する形になるのだろう。

以上、個人を主役として個人の創造性を存分に生かす方式をイメージしてみた。なんのことはない、欧米が今や普通にやっていることだ。一方、日本ではこのような議論をあまり聞かない。人事部門のカンファレンスなどのAGENDAにも見かけない。しかし、競争力上位の国は、個人の自律と「信頼」に基づくフラットな組織での権限委譲がキーだとどこも主張しているのだ。DBICは、この信念を曲げずに主張し続け、理解を広めていくつもりだ。

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