【横塚裕志コラム】今まさに「学問のすゝめ」を 実行すべき時ではないだろうか

明治5年から5年間かけて、福沢諭吉は「学問のすゝめ」を書いた。何を目的に、なぜ国民に「学問」をすすめたのか。その想いとは何だったのか。
明治維新という大転換期に、国民がみずから新しい国のかたちを創っていくためには、国民全員が「学問」することが必須だ、というのが福沢諭吉の主張だ。
令和の今、日本は30年停滞を続け、方向性を見失いかけている。まさに、明治維新の状況にも似て大きな時代の転換点に差し掛かっている。故に、今まさに「学問のすゝめ」を実行すべき時ではないかと考え、福沢の主張に立ち返ってみることにした。

1.大転換期を乗り切るためには「学問」が必須という危機感

明治維新という大転換期にあたり、国民にとって重要なことは「学問」だということを、広く知らしめたいという危機感から福沢は書いた。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」、つまり人は生まれながらにして平等だから、「賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによりて出来るものなり。」「学問を勤めて物事をよく知るものは、貴人となり富人となり、無学なるものは、貧人となり下人となるなり。」と書く。新しい社会、新しい産業、新しい国は、国民が「学問」を学ぶことで、国民がつくっていくものだ、と強く鼓舞している。
彼は3度にわたり欧米の国々を回り、欧米の技術や産業を学ぶことが日本を生まれ変わらせる突破口になると考えたようだ。

今の日本はどうか。明治初期と同じような危機的状況にあるのではないだろうか。年金制度も、医療制度も、少子化問題も破綻寸前の状態だ。産業界は一人当たり生産性で30年停滞し、明るい兆しが見えない。この日本の危機を乗り越えるキーは、やはり「学問」ではないのか、と福沢が語りかけているように思える。「欧米あるいはアジア諸国が、どのようにして成長を続けているのかを学ぼうではないか」、「学ぶことで新しい日本を創ろうではないか」と叱咤されている気がする。

2.「学問のすゝめ」ですすめた「学問」とは何か

それは、アカデミックな学問ではなく、人々の暮らしや仕事に役立つ実践的な知恵、いわゆる「実学」をすすめている。福沢が重視しているのは、現実をつくっていく力があって、社会を発展させ進化させることに直接寄与するような、いわゆる科学的な学問を指している。しかもそれを、「学問のための学問」として学ぶのではなく、自分の携わる仕事に役立てる形で学べと言っている。
「学ぶことは、国民全員の使命である。」というはっぱのかけ方で、明治日本の人びとの心を変え、社会を変え、時代をつくっていった特別の本だったようだ。

今の日本人はどうか。「学び」が表面的で薄っぺらいのではないか。同僚の西野が言う、「マネジメントを深く学んだことがあるか」という問いだ。欧米が進化を可能にしている大事な考え方が「マネジメント」だろう。しかし、それを本質的に学んで実践している日本人を見たことがない。デザイン思考も同様だ。本を読んだくらいで分かった気になっているだけで実践できる人はまずいない。AIも同じだ。便利ツール程度ではしゃいでいるが、自社のコア部分をAIでいかに競争力を上げるかという戦略的事例を見ない。「真剣に学べ」と福沢は怒っているように思える。

3.「お上意識」を捨てて、国民と政府は対等であるべき

政府の健全性を促すためには、国民が学び、政府と平等に対峙することが大事。そして、対峙するときには、冷静に「正理」を唱えて政府に迫れ、と言っている。
この「正理」とは「道理」のことで、論理的思考の大事さを主張している。その論理的思考をトレーニングするために、「学問」をすすめている。儒教で言うような「徳」の発想が続いている社会では限界ありと言っている。

今の時代に置き換えても至言と思う。企業内でも、役員や上司に「従属」して忖度を続けるばかりでは企業の発展はない。「正理」を学び、「正理」を唱えて経営者に迫るものが出てこなければ企業の健全な発展はない、ということだろう。そのために、「正理」を学ばなければならない、ということだ。
福沢はこうも書いている。今の時代でも耳が痛い。
「商工業、軍備、学術に至るまで、日本では昔からことごとくお上(政府)が仕切ってきたために、国民は「国の食客」のごとくになってしまった。お上の意向を考えずに目立つことをすると叩かれるという考え方が習い性になって、自主性や独創性を発揮しようという意欲が育たなくなってしまった。かくして、みなが「命令を待っていればいい」、もしくは「命令されるまで動いてはダメだ」、ひいては「何もしないのがいちばんいい」という精神風土ができあがった。」

4.「学問」の目的は「個人の独立」

福沢は言う。「わが日本国民も、いまから学問に志し、しっかりと気力を持って、まずは一身の独立を目指し、それによって一国を豊かに強くすることができれば、西洋人の力などは恐れるに足りない。」
「独立の気概がない者は、必ず人に頼ることになる。人に頼る者は、必ずその人を恐れることになる。人を恐れる者は、必ずその人間にへつらうようになる。常に人を恐れ、へつらう者は、だんだんとそれに慣れ、面の皮だけがどんどんと厚くなり、恥じるべきことを恥じず、論じるべきことを論じず、人を見ればただ卑屈になるばかりとなる。」

今の時代、「個人の自立」が日本企業復活の重要なキーだとDBICは主張している。150年ほど前に同じ「個人の自立」が国を豊かにするためのキーだということを福沢諭吉が唱えていたことに驚く。あらためて「自立」が持つ本質的な意義の大きさを強く感じている。
個人が自立しない限り、創造性は生まれないし、市民の真の課題を感じる感性は育たない。創造性や感性がない人材では新しい企業や国はつくれない。
「親方日の丸」的に、「お上が何とかしてくれるはず」という感覚で、終身雇用に甘えて忖度に走っているようでは、日本の危機は救えない。
「学問のすゝめ」が強く叫んでいる通り、私たち一人一人が欧米にあらためて本格的に学び、世界最新の理論を身に着け、組織に忖度しない自立の気概を持ち、対等に経営者や行政、政治家と対峙し、自分の「正理」をぶつけあい、深い議論を戦かわせることが日本復活の一番の近道ではないだろうか。

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